ギターと紙芝居を抱えてコペンの駐車場に降りていくと、ゴミ燃やし中の Y先生にばったり。「講演で2日ほど留守にします」と伝えて、7時に出発。スーパー林道はスギの枯れ葉などが路上に散乱していたが、なんとか通過。それにしても山越えのルートはちょっと危険だ。ということで関越車本庄児玉ICから圏央道に入って青梅ICへ→国道で厚木→東名道で御殿場ICというルートで12時前に到着。昼食後、事務局のにゃん太郎君にアポを取り、講演会場の「国立中央青年の家」へ。
残念ながら霊峰富士は雲に隠れている。自衛隊のヘリコプターが並んだその道の反対側に、青年の家が現れた。国立青年の家は「青少年の健全育成を目的とした青少年教育施設」を目的とした独立法人で、全国に12カ所ある。昨年、僕らも参加した『あかぎ芸術フェスティバル』の場所もその一つ。ここは皇太子殿下(今上天皇)のご成婚を記念し、昭和34年に設置された我が国最初の青年の家というから、僕の生まれた年と同じ。40数年の歴史がある。
以前、府中の青年の家でお世話になった職員の北見さんに再会する。さっそく研修棟へ向かい、パソコンとプロジェクターの相性をみる。Macとの相性が悪いのか、講演のたびに投影画面がズレてしまって困っていたのだが、新PowerBookでは「システム環境設定」でそれが修正できてホッとする。
車での移動中、運転しながら口述筆記してもらっていた講演骨子を、相方yuiさんが清書していると、日焼けした顔のS子ちゃんが挨拶にやって来る。その後、ギターを出して歌合わせ。にゃん太郎君の案内で、今回の参加者の宿舎へ。元々は駐留米軍のボーリング場だったそうで、そのあと青年の家の所有になり倉庫になっていたものを改装して泊まれるようになっている。外国人の参加者もいて、イベントメニューの「ゴミ拾い」などから帰ってきた参加者と挨拶をかわしながら雑談しているうちに、時間がやってくる。
それにしてもかなり大きな面積と建物数をもった施設で(その広さは東京ドーム3つ分に相当)、僕の講演は平屋の研修棟で行なわれることになっている。さて参加者の若い顔ぶれ(ほとんどが大学生)をみて、講演直前にハタと悩んでしまった。にゃん太郎君からの注文では「日本の森の問題点」からその解決策としての「鋸谷式間伐」にまで言及してほしいとのことだったが、なにしろ参加者は「雑木林」という言葉すら知らない人がほとんどなのである。
そこで前振りで日本の森の概略を話した後、先に紙芝居をやってしまうことにした。その後、写真やイラストを見せながら人工林問題と鋸谷式間伐、巻き枯らしなどの話に進み、最後に質問コーナーで終了。参加した外国人には、レジメの英訳版が用意されており(内容はにゃん太郎君製作のもの)、講演中はにゃん太郎君が英語への同時通訳を行なっていた。
その夜はゲストルームに泊まらせてもらった。その部屋も立派なもので、バスルームもあるビジネスホテルのようなつくりになっている。食事は参加者といっしょ。外でバーベキューだった。一心地つくとトルコ人のIさんやフランス人のMさんらが相方yuiの歌を聴きたいとリクエスト。ギターと譜面台を持ち出して『風になりたい』『花』、紙芝居を見ていない参加者も合流したので『むささびタマリン紙芝居のテーマ』『むささびタマリン森の歌』、間を入れて『島唄』、yuiのソロで『わらびかみ』、最後はやっぱりオリジナル『この町で』。
野外のライブはやっぱりノリノリで、かなりウケた。「CD欲しい! CDないんですか」というMさんに1枚だけ持っていたデモCDをプレゼント。「アトリエにぜひ遊びに行きたい!」という人もたくさんいて名刺をあげてくる。相方は歌のお礼にということでIさんにトルコの魔除けのブローチを貰ってご満悦。翌朝、富士山は雲の中。僕らはコペンで伊豆へ向かった。