今日は某新聞社の取材を受ける日。きっかけはY先生の取材記事である。そのとき先生が僕らの話をし、記者さんはアトリエまで来てくれたらしいのだが、僕らは不在だったのだ。約束の時間は10時にアトリエ訪問。というわけで早朝から二人して血相を変えて内外の掃除(笑)。悪い天気ではなかったので庭にちびカマやイスをセットしていると、Y先生と共に取材記者さん登場。Y先生も交えてお茶を飲みつつ歓談となるが、途中から僕の過去の作品ファイル3冊をじっくり見だしその経歴をいろいろ聞き始めた。
僕のイラストレータとしての出発はかなりデタラメなものだ。なにしろ大学は工学部土木科出身、その後東京に出て設計コンサルに勤めるサラリーマン。それを2年半で辞めていきなりフリー。絵の仕事に関してはコネもなければ同業者の友人もまったくいない無謀な出発で、当然仕事が取れないから肉体労働系のバイトを繰り返してはイラストを描きため、雑誌社などに作品を持ち込んだりしていたのである。要するに絵に関してはまったくの独学、仕事を繰り返す中でその手法を学んでいったのだ。
デビューしたのは『山と溪谷』誌だったが、一方でビデオテックスのイラストデザインの仕事を請け負うチャンスに恵まれた。これは当時NTTが始めた双方向通信システムで、まあインターネットの原始的なものと思えばいい。業界で真新しい仕事だったから工学系出身という経歴が功を奏したのかもしれない。デザイン編集工房にタッフとして雇われたのだ。その後はフリーで仕事を貰えるようになった。ともあれ4畳半の木造アパートの一室で、ダイヤル式の電話1個で、コタツテーブルで出発したという、なんともスサマジイ起業であった。※
そんな辺りから話しているとかなり長くなってしまうのだが、ここまで聞き込んで来る記者さんも初めてだ。その後、周囲の山へお連れした。間伐遅れの山の状況と鋸谷式間の実践例やその効果などを見てもらい、アトリエに戻って建物を見たりし、11月のライブ&個展の話からCDを買っていただいたりして、取材終了。あまりに多岐に渡る活動ゆえ2~3日寝かせたあと記事の方向を見据えるとのこと。
明日は僕らが上野村の山に取材に行く。
※追記:大内のくわしい経歴についてはブログメニュー/プロフィール>【仕事関係】を参照してください。