乙母の山へ/Kさんの鋸谷式間伐


トラック移動販売のクロサワ商店のおじさんのお兄さんが、上野村でいい山づくりをしているという情報を入手して、乙母(おとも)集落に住むYKさん(74歳)を訪ねた。あらかじめ『図解 これならできる山づくり』をお渡ししておいたのだが、YKさんは僕と顔を合わすなり「私のやり方は鋸谷さん大内さんの本といっしょですね」と言った。

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役場の上流から左岸側に入る住居附(すもうずく)川の上流にYKさんの山はあった。最初に見せてもらった木は19歳のときに植えたスギというから55年生ということになるが、胸高直径60cmに近いものがあり、間伐の行き届いた明るい林床には灌木と下草がそよいでいる。。YKさんは早い時期から強度間伐の山づくりを実践しており、ここ5年ほどはその成長を記録もしている。

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北西斜面で標高は600mくらい。上野村ではここより高くなるとスギ・ヒノキは生育しにくく、育林木はカラマツに変わる。その境界線あたりまでYkさんは僕らを案内してくれた。柱が十分採れる太さのヒノキを「切り捨て間伐」しており、しかも玉伐り枝払い集積をいっさい行なっていない。

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「あの本のやり方と同じで伐ったらそのまま放置です。省力的なだけでなくこれが山のためにも一番いいですね」
密度管理竿を回してみると、鋸谷式よりも1本ほど強度に間伐した場所もある。
「間伐の伐り過ぎの弊害はないですか? たとえば乾燥による枯死とか」
「それはないね。むしろ幹に陽が当たることが年輪を強くするんですよ。同じ年輪でも日当たりがいいと硬く締まるね」
北西斜面の沢沿いという条件もあるのだろうが興味深い話だった。
「思いきって伐りすぎるくらいでちょうどいい。太い木を切り捨てるのは育てたものには辛いものだが、それが出来る者が、最後に勝利するんです」
この流域では今年早春に大雪がありアトリエの近辺でも雪折れ被害があちこちで見られたが、ここでは雪折れはまったくないという。

驚いたのは一部「巻き枯らし」もされていることだった。チェーンソーで環をつけてナタで上を削るという方法である。沢沿いの切り捨て間伐は沢をふさいでしまうことがあり、その後の処理が大変なので、枯らす間伐をご自分で考えたという。やがてボロボロに枯れてから伐採すれば沢に落ちても折れたりばらけたりするので手間がいらないからだ。

多くの山林所有者は放置にまわっているのに、YKさんはなぜこのような強度間伐をやっているのか? お話をうかがう内に、YKさんは建築と木の関係にも造詣が深いらしいことがわかってくる。強度の高い長持ちする民家をつくるには、大断面の横架材が必要なこと。それが今の日本の山には少ないこと。大径木のほうが赤身(赤芯・心材)が大きく、強度があること。とくにクリ、ケヤキ、ヒノキ、カラマツの赤身は水にも非常に強い。

たとえば同じ年輪幅で毎年成長したとすると、小径木より大径木のほうが材積はずっと増えることになる。YKさんは毎年生長量を測定し、樹皮にマジックペンで直径を記録されている。その調査研究によれば、この強度間伐スギ林で目通り1m42cm(これはYKさんが木に抱きついてちょうど左右の指の先端が触れる円周だそうだ。4尺3寸=直径に換算すると約45cm)の木を1反あたり75本(750本/ha)収穫できる。すると合計で5石の木材が収穫できる目算だ。

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しかしYさんは自分の代での収穫はまったく考えていないとのことだ。多くの山林所有者が山を放置している中で、YKさんが手入れを続けられているのは何故なのだろうか? その原動力、意思の奥底を知りたいと思った。
「自分の目標をやりとげてみたいからさ。孫子の代になって『自分の先祖にこんなに山を手入れしてくれたひとがいた』って語り継がれたらそれでいい」

ご自宅にもどってお茶をいただきなが、さらに話をうかがった。国の借入金と山林との関係を話すうちに日本の経済問題にまで発展する。見せかけの景気回復の裏で莫大な額の国債が発行されている。借金だらけの経済が動いており、このままでは国際的な信用さえ失いかねない、と。「こんなことをわかりやすく話す人が出て、根本から生活を見直すことを訴えれば、もともと勤勉な国民なんだから気持ちを入れ替えると思うけれどね」。戦中戦後の山村の様子なども興味深くお聞きした。山村には哲人を生む素地があるのかもしれない。僕らはまた遊びに来る約束をしてYKさん宅を後にした。


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