朝、畑に出てホウレンソウ、ハクサイ、フェンネル、パセリを摘んで、それらすべてとカブのスライスを混ぜたサラダをつくる。材料は手で一口大に手でちぎり、水でさっと洗ってサラダスピナーで水きりする。ドレッシングはオリーブオイルとワインヴィネガーをベースに塩、醤油、バルサミコ、黒コショウ、そこに柚子の皮のスライスをパラリ。
野菜はすべて無農薬で、動物糞を用いた肥料は使っていない。安心・新鮮・健康・贅沢なサラダである。もちろん野菜は甘く、目が覚めるほど美味しく、感動がある。このような野菜を宅配する会社もあるけれど、町暮らしで確実な野菜を買おうとすれば、多大な努力と出費を覚悟しなければならないだろう。山暮らしバンザイ。
無農薬有機栽培と銘打った野菜が健康食として市場価値ある昨今だが、この「有機」というのはくせ者である。なぜなら肥料に鶏糞や牛糞、米ヌカを使ったものが多いからだ。BSEや鶏インフルエンザ問題で知られる通り、きょうびの飼育動物はまともなエサを食べていない。そんな動物の糞ははたして安全であろうか? また、タダ同然で手に入る米ヌカにしても、その米がどんな作られ方をしたかでヌカの成分はちがう。ヌカは栄養分もあるが同時に重金属などの有害物質も多いといわれている。
しかし、いきなり無肥料で栽培するというのも無理があるように思う。そこで落ち葉や小枝を集めて寝かせた「木質堆肥」と、「草木灰」の出番である。最初、僕らが鶏糞などを嫌った一番の原因はその不快なニオイからだった。また、最初の頃、トイレの屎尿を分解したオガクズが土状になったもの(これはニオイは全くしない)をジャガイモなどに使ってみたりしたが、現在は止めている。畑に鋤き込むのは木質堆肥と灰だけに限定したのだ。
前住者が使っていた畑は部分的に「肥毒」が残っているように思う。ダイコンやチンゲンサイを作った場所には無肥料にもかかわらずカメムシが大量に発生し、一部の野菜は放置したところ腐敗してドロドロになっていた。ところが、カシの木の下に作ったミニ菜園のハツカダイコンやパセリ、シソ、ショウガの味はすばらしい。
ここは長年、落下したカシの落ち葉と枯れ枝、ドングリが積み重なり、自然に土が堆肥化している場所である。カシの枝を伐採し生葉をさばいているときに実に爽やかな香りがするが、野菜にはそのような爽やかで、深い甘みが感じられたのだ。僕らはここで開眼した。「野菜はその土の性質と肥料の質を体現するものだ」と。だから不快なニオイのする動物糞を使った堆肥は使いたくない、と考えたのだ。今年不成績だった野菜(ピーマン、ナス、キュウリ、トウモロコシ、ダイコン、レタスなど)をもう一度この方法で育ててみたい。
昼前に秩父へ出発する。秩父神社から歩いて20分程度のところにある中学校の臨時駐車場にコペンを置き、出店の並ぶお祭りの会場へ。それにしても夜祭りはものすごい人出で、山車が曲がったり坂を登ったりする見せ場のところは桟敷席が設けられており、それが一席5千円~1万円もするのである。その一帯は夕刻より警察(消防署かな?)のバリケードが作られて見物人が移動できなくなってしまう。
山車はたしかに豪華で壮麗なものだったけど、引く人が煙草を吸っていたりケータイ電話をかけていたり締まりがない。このお祭りの本当の意味は何なのだろう? 武甲山の龍神様が関係しているらしいけれど、肝心のその山がセメント原料のために削られた無惨な姿をさらしているのが悲しい。ともあれ日本有数の人出と出店の多さなのは間違いないし、その売り上げ総額も凄いものだろう。今の祭りはそれでいいのかもしれない。しかし、祭りとは本来、土地の自然に生かされていることへの感謝の表現であったのだが。