個展の中休み、しばらく手入れできなかった畑の草取りをする。草だらけでエラいことになっている・・・と思いきや、それほどでもない。相方は個展準備で散乱状態の部屋の掃除。
ジャガイモの花が終わったものを2株ほど、初収穫してみる。連作したのだけれど、けっこういいものができている。しかも、今回は耕転もぜす、土寄せもしていない。ジャガイモの生育に負荷を与えない程度に草を刈るだけ。もちろん化学肥料や動物糞の有機肥料はいっさい入れていない、木質堆肥と木灰だけ。農薬防除もまったくなし。ニジュウヤホシテントウがついて葉を食べている株もあったが、そのまま放置しておいた。
泥を洗うと皮は白くてこのままかじれそうだ。さっそく茹でて食べてみると、これまた飛び上がるくらいすばらしい味である。この味は、言葉では名状しがたいが、深い甘みとナッツのようなコク、とでも言ったらいいか。昨年の新ジャガもすばらしかったが、今年はそれを凌ぐ深い味である。収穫した後の土はふかふかになっている。一般にはジャガイモは連作は不可、草取り必至、肥料・土寄せ必用で、僕らはことごとくセオリーから外れている方法なのだ。
茹で汁にも淡い甘さがあったので、捨てずにスープをつくった。茹でたジャガイモ数個を湯汁に戻して鍋の中でマッシュし、大量のネギの小口切りと、これまた収穫したての小粒のニンニクをスライスして鍋の中へ。ネギが柔らかくなったら塩と白コショウで味付け。食べるときにパルメザンチーズをおろしてふりかける。野菜の滋味が味わえる淡い味のスープだ。この味を感じると、世界じゅうでジャガイモが基本食のように大量に作られているワケがよくわかる。いま市場に出回っているジャガイモは味がない。だから様々な調理や味つけで食べてられているのだ。
キャベツも結球が大きくなっていて、大きなものから収穫してしばらく楽しめそうだ。最初、モンシロチョウの幼虫が葉っぱを食い荒らして心配していた。見つけた幼虫を放り投げて防除していたのだが、それでも虫食いは多くて、幼虫の糞が大量に落ちている。しかし観察してみると、キャベツの結球は内側から新しい葉がどんどん成長していくので、中には虫食いはまったくないのである。そして、虫食いの葉っぱを食べてみると苦みがあって美味しくないが、中の虫食いのない葉っぱは、深い甘みがあって非常に美味しい(ただし、やや食感がかたい)。
少し小振りだけれども、無農薬、木質堆肥と木灰だけ、でキャベツもできるのだ。ここで僕らは、周囲の畑とまったく別のベクトルで野菜づくりをする感覚を得た。すなわち
1)春先の耕転はせず、雑草を活かして雑草の根による土づくりをする。
2)補助として木質堆肥(樹木の落ち葉や、草刈り雑草ゴミを中心としたもの)と木灰を鋤き込む。
3)化成肥料や動物糞・米ぬかボカシ系の肥料(窒素の多いもの)はいっさい入れない。
4)雑草は目的の作物の成長を阻害するものだけを刈る。
のである。これでできない作物もある。が、それは、種(たね)そのものに問題がある、と感じる。
周囲の人たちは、「あそこは仕事で忙しいから草刈りもできない畑になっている」と見ていると思うのだが、僕らは意識して草を抜かずにいるのである。このほうが豊かな表土を維持することができるからである。
斜面の畑で除草を徹底すると表土は常に流される。小石だらけの畑になる。しかし、そのような畑のよほうが、実は肥料や農薬は効きやすい。純粋に作物だけに薬を与えることができるからだ。実際、町の農園でこんな農法を指導している人もいる。しかし薬をつくる工場がなけれれば成り立たない菜園なんて虚しい。それにそんな畑には、他の生き物が棲む余地があまりにも少ない。
白菜を2株だけ花咲かせ(菜の花そっくりの花であった)ずっと放置していた。その種ができていたので種採りをした。これでできるかどうか、ともあれ実験するのである(でもいっぱいできたらキムチ樽つくるぞ~)。
ところで実験的に播いておいた麦は、食害を受けて穂がすっぱり切れ落ちているものが多いのだった。まあ、これはしょうがないか。毎日、姿と鳴き声を楽しませてもらっているからな。