空っ風のスギ枝


アトリエの大家さん宅に家賃を払いに行く。この機会にKさんの昔の少年時代の話を聞くのがいつも楽しみなのだが、囲炉裏や水車の話が面白かった。H集落にはかつて水車が2台あり、1台はY先生宅のすぐ下のあたりにあったらしい。水車当番の回覧板(板に墨書き)があって、その順番で粉を挽いたそうだ。臼は石でできており、杵はヒノキではなかったか、との事。

石臼や水車、などというと、遠い昔の懐古趣味に思われがちだが、現代のハイテクを駆使して水車を造れば高性能で小規模発電まで可能なものができるはずだ。いまは精緻なボールベアリングがあるのだし、弱電技術も日本はすばらしいものを持っているのだから。

しかし、地球環境を重視しなければならない時代にあって、その先端技術の使い方はおかしくないか? ヒトの動きに似せたロボットを造ってみたり、鉄筋コンクリートとガラスの高級マンションで電磁調理器具を使う、などという風潮にはもう心底がっかりするのである。

また、山から伐り出した木を工場でキャットフードのような「ペレット」なる均一の固形物を作り、それをストーブで燃やすという「ペレットストーブ」もなんというバカバカしさだ。こんなもの「囲炉裏」を復活させればそれで済んでしまうではないか。囲炉裏ならそこで様々な料理もできる。煙対策には小型の集煙ダクトと換気扇をつければいい。どうも先端技術の使い方がちぐはぐだ。

ただし囲炉裏を使うには薪の燃やし方の技術がいる。料理だってスイッチひとつでポンというわけにはいかない。しかし、焚き火もまともにできないようじゃヒトとは言えないぞ。縄文人よりも退化しているわけだから即刻修業すべきなのだ。囲炉裏で食事を済ませた後、その「熾き火」を火鉢に移動すれば薪を余すことなく使える。囲炉裏に飽きたら。煙たくないテレビのある部屋でこたつと火鉢でくつろぐ。これもいいものである。

その後万場で用事を済ませ、上野村から下仁田へ。下仁田から甘楽へをまわり群馬町へ。甘楽の直売所で買った地粉(小麦、中力粉)が良かったので10kg入りの袋を買った(1000円ちょっとだった)。小雪の舞う中、小さな丘陵地をいくつか越える。「産廃絶対反対」という看板をそこかしこで見る。

雑木林も無用のものになって、丘陵地の森や竹林は荒れている。土地転売の話が持ち上がれば、持ち主はすぐに手放してしまうのではなかろうか。山暮らしで囲炉裏を始めた僕らからすれば、老齢化した雑木林は宝の山に思える。抜き伐りして再生すれば里山昆虫が戻ってくる。伐った木は、細かい枝は囲炉裏の燃料に、中太はシイタケのほだ木(シイタケは天日で干してストックしておけば、ダシをとるのにも一年中重宝する)や薪ストーブの燃料にストック。太いものは木工用に寝かせておくのだ。

森林ボランティアをやっていた時代、自分も含め、その仲間のほとんどが家に帰れば森と断絶した暮らしぶりの中に帰っていくのを見て、悲しい思いをしたものである。遊びで炭焼きをするボランティアの人も、その炭を家で何に使うのであろうか?

今日は冬至。明日からまた日が一日一日と長くなる。強風が吹いていた。上州の空っ風をいうのをしみじみと味わった一日。帰りのスーパー林道はスギ枝やスギの枯れ葉が大量に落ちている。そして今、これを拾う人はだれもいないのだった。


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