囲炉裏ピザ


漬けておいた白菜を取り出し、囲炉裏で米を炊いて、カブとワカメのみそ汁で朝食兼昼食。しかし、何度でも書くが、山の水と薪で羽釜で炊いた米のウマさはもうほんとうに尋常ではない。ゴトクを使えば囲炉裏でご飯が簡単に炊ける。羽釜というのは本当に優れたもので、蓋の部分からの吹きこぼれがほとんどない。囲炉裏なら外で焚き火で炊くときの風の影響もなく安定した火力を維持できる。囲炉裏とカマドを併用していた昔の暮らしでは、羽釜はカマドでと決まっていたけど、囲炉裏でも簡単に炊けるんだよね。すこーし長めに火をかけ、わずかなお焦げをつけるのはテクがいるけどね。

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ところで、この白菜の漬け物、これがまたなんという繊細な甘さだろう。塩とトウガラシと柚子皮だけ。ちまたの食堂で食べる白菜のお新香とは似て非なるものだ。んんん、それからカブ。汁碗から箸で口に含んでがぶりと噛んでその味にまた「!・・・」。まるで枝豆のようなコクと甘みがひろがる。汁の出汁はほんのわずかの鰹節、削りたてを手で揉んで粉にしたものだけだ。それも取り出さずに食べてしまうんだが、深~い深~い汁の味だ。

白菜もカブも僕らの畑のものはサイズが小さい。が、その味はいままでの野菜の概念がくつがえってしまうほど美味しい。もう畑の白菜は凍結状態になってしまったので、数日前におおかた収穫をすませた。そのときは、ニンジンもほとんど土から上げた。もっと早くしたほうが良かったかな。とりあえずまた漬け物を仕込んでみよう。というわけで柿渋の上澄みを一升瓶に移し、漬け物樽を開けることにする。

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今日はクリスマスイブなのにケーキもチキンもない。でもいい白ワインがあったので、ピザ用チーズでチーズフォンデュ。囲炉裏パンのスライスに、ニンニク、パセリ、柚子絞り汁、をバターに練り込んだガーリックバターで。

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最後は天然酵母・地粉のパン種で「囲炉裏ピザ」^^。厚手の蓋付きアルミ鍋にアルミフォイルを敷いて、生地を入れ、蓋の上にも熾き炭を載せるのだ。上記のガーリックバターにトマトケチャップ、塩、コショウ、オリーブオイルをたらす。そしてフェンネルの葉をトッピング。ううう、これまたメチャウマなのだった。最もローコストなピザの焼き方ですね。マッキー、すまん!

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しかしまあ、囲炉裏ってスゴイ装置だね。僕らはアトリエでの発信がひとりよがりにならないように、外にも数多く出かけ、外食もするようにしている。ときどきインスタント食品も、食べてみたりしている。それでもアトリエで美味しいものに出会うとき、味に対する感動の高さ深さが、そして食後の幸福感がちがうと感じる。

「いま、日本でいちばん美味しいものを食べているのは僕らかもしれない」

「食べた後のこの深く清らかな満足感は何なんだろう?」

そうつぶやくことがしばしばだ。

たしかに囲炉裏での調理は面倒なところがある。灰が飛び散るし、火の扱いも慣れないと難しいかもしれない。山の水道も凍ったりして管理が必用だ。ボタンひとつツマミまわせばというわけにはいかない。しかし便利な装置を使うために仕事に追われ、時間を失うことでまた便利な道具に使われている、そして手仕事の価値と輝きを放棄している現代の生活って何なんだろう? 囲炉裏の周囲には、子どもたちが楽しみながらできる労働がたくさんあることも示唆的だ。

人は身のまわりにあるものでのんびりと生きていけるように、神様が、自然が、ちゃんと用意してくれているんじゃないかな? 僕は初めて東京に出てサラリーマンで働き始め、コンクリートジャングルの中で、歯車の中にむりやり押し込められたとき本当に苦痛で苦痛で、「縄文人のように、自然の中で自由に暮らせたらどんなにいいだろう」と思った。でも、そんなことは夢物語だとあきらめていた。しかし、いまアトリエでの再現は、僕らを奮い立たせている。

陶芸家、吉田明さんの本の中に、縄文土器を囲炉裏の灰と炭で焼く方法が書いてある。それでピザを焼く方法が載っている。土器で焼けば味はさらに深まるだろう。アトリエでやるつもりである。

今日はヒノキの間伐材で餅つきの杵を作った(臼はあるが杵が見当たらなかった)。それから、引っ越しのまま箱に入ったミニコンポを出して囲炉裏部屋で音楽が聴けるようにした。しかし、囲炉裏の炎見ながらクリス・コナーなんか聴いてるのは世界で僕らだけだろうね(笑)。


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