マップ取材で茨城の八郷、土浦へ。筑波山と加波山をつなぐ山稜の荒廃状態は間伐BBSに書いた。土浦は蔵の町並みや市の中心部にある亀城公園などをまわった。前夜、ホテルの部屋で深夜まで霞ヶ浦の記事を書き、寝不足がたたったのか街歩きの途中で足をくじいいてしまう。アトリエではいつも軍足と下駄で歩いているので、ひさびさに履く軽登山靴が慣れなかったのかもしれない。足をくじくなど、サッカーをやっていた中学校以来の出来事で、逆に嬉しくなってしまった(笑)。ともあれ足をひきずりながら市内を回った。
嬉しかったのはレンガ蔵のカフェがあったこと。そして亀城公園の池でカワセミを見たことである。公園の周辺は古い建物が残っていたし、高層のマンションがない。レンガや大谷石はコンクリートとちがって暖かい。不思議である。公園の周囲で遊ぶ子どもたちがのびのびしていたのが印象的だった。先月の取材のときは知らずに歓楽街の外れの場末のビジネスホテルに泊まってしまったが、今回は駅前に和風旅館「そめや」をみつけてそこに泊まった。
旅館のおばさんの話では、旅館の前は以前は川があってヤナギ並木だったそうだ。万博のときに高架道路ができ、川は埋め立てられ、ショッピングモールもできたけど、そこは人が少なくてがらがら状態。高架道路の下もかなりお金をかけて整備したような感じだが、ここでのんびり休む気にはなれない、そんな暗い寒さが漂っていた。
駅前に大きな直方体の建物でイトーヨーカドーが入っているのが驚きである。駅から直接歩道橋が通じ、車道を渡らず店内に入れるようになっている。なぜこんなことになったのか知らないが、これでは駅からヨーカドーに直行して買い物を済ませ、家に帰る人たちが激増し、他の商店は干上がってしまうこと必定である。なにしろヨーカドーは品揃えが豊富な上、夜の10:00まで営業しているのだ。
高層化、コンクリート化は町を冷たくする。そこに造られる植え込みや人工水路はなにかよそよそしく、生きた感じがしない。せわしなく行き来する大型輸送車の騒音がビルの谷間に響いている。一方、城跡の公園には歴史を感じさせる建物と風雪に耐えて堂々とそびえる巨樹がある。平屋、せいぜい2階建てが多く、そんな木造の建物、レンガの古い蔵が残っている。見通しがよく明るい。カワセミが飛び、子どもが土のある水辺で板きれで遊んでいる。「縄跳びネタ」で喧嘩して泣いている子どもの話を聴いてあげているお姉さんの姿が自然でよかった。
土浦では明治期の洋風木造建築の秀作「旧茨城県立土浦中学校本館」も見に行った。設計の駒杵勤治(こまきね・きんじ)は当時若干26歳、県の技師であった。彼はわずか2年3ヶ月の短い赴任期間、県内にかなりの数の建築を設計したというが、現存するのは3棟だけだ。僕はこれで全部見たことになる(なかでも旧水戸商業高等学校は懐かしい。幼少の頃あずけられ育った母方の実家のすぐ側だったからだ)。