土浦の駅前旅館


渋沢栄一は近代黎明期に様々な事業を成したことで歴史に名を残したが、出身地の地元埼玉県深谷には、その創出に関わった日本で最初のレンガ工場があり、現在の深谷駅はレンガで装飾された建物になっている。

27日の紙芝居ライブ会場もまた(ここは熊谷だが)、レンガをかなりの量使った建物であった。構造的には鉄筋コンクリート造なのだろうが、レンガを貼ることでぐっと温かい表情になり、調湿度や波動で人にいい効果もあると思う。レンガは粘土と砂を混ぜて圧縮・乾燥させ、高温で焼成したものである。陶器に近い素材なのだ。

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いま、現代人はコンクリート打ち放しの模様をプリントしたビニールクロスとか、レンガや左官塗りのテクスチャまで表現できるサイディング壁に慣れてしまって、本物が何だか解らなくなっている。会場に来た人で、この本物のレンガの存在に気づいた人がどれだけいるだろうか?

今回のステージは音響も良く、紙芝居はスクリーンに流してもらったこともあって、とても評判が良かったようだ。休み時間のロビーでは、「すばらしかったです」と褒めてくださるお客さんが何人も来て(ギターを若干とちった僕は冷や汗モノだったが)、ポストカードをたくさん買い上げてくださり、用意したCDは売り切れて足りなくなるほどだった。その後、僕らはシンポジウムを聴いた。

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翌日は水戸の実家に用事があったので、その足で茨城方面に向かい、土浦に宿をとる。なぜ土浦か? というと、土浦になかなかいい居酒屋と、駅前旅館があるからである。居酒屋は「春木屋」といい、肴は美味くて安く、きちんと旨いビールを飲ませてくれる。

旅館は土浦駅西口近くにある、今どき珍しい木造2階建ての和旅館である。宿代は「T横イン」とほぼ同じ。そして別室でいただく「朝食」がちょっと特筆すべき質の高さなのだ。僕らは昨年のイラストマップ取材で、この「そめや旅館」を偶然発見した。(昨年の取材日記はこちら

旅館のおばさんも気さくな人でいろいろと話しを聞くこともできる。昨年は土浦駅前の再開発の失敗話を聴いた。駅前にドンと10時まで営業のイトーヨーカドーができ、旅館前は風情のある川が流れていたのだが、それを埋め立て高速道路のような高架の下にテナントをつくったものの閑古鳥(お客はその道路に乗って筑波学園都市へ移動してしまう)。いま、さらに駅前に高層マンション2棟が建設中だという。

「いまの若い人はこんな旅館、泊まんないですよぉ」とおばさんは嘆く。

土浦市内の旧店舗はシャッター通り。郊外に出れば国道沿いに全国皆同じの郊外店の原色ギラギラ看板が並ぶ(でも、コジマ電気と山田うどんの看板はけっこう好きだ)。全国どこも同じだ。これでCO2削減なんてできるわけがない。地場の古き良きものを活かしていき、流域の中の系の中で、食や産業を循環させていくべきだ。どんな小さなところからでも。

一方で古い街並を残して町おこしをやっている真壁(まかべ)町のような所もある。が、昨年「真壁のひな祭り」を取材して疑問を持った。生活と離れた「客寄せ」の感じを受けたからだ。真壁の古民家は、もともと商売で大儲けして建てられたものだ。商家において「薬医門」のようなムダな建物が並んでいることがそれを物語っている。その家の作りは、現在の真壁の人たちの暮らしにはほとんど繋がっていない。本当は、こんな暗くて寒くて住みにくい家よりサイデリングの白い家に住みたいと思っているのである。

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ところが、「そめや旅館」はちがうのだ。高級な日本旅館では全然ないが、廊下も室内も塵ひとつなく磨かれている。控えの小部屋があり、床の間があり、調度品や掛け軸がある。食堂の窓には隣の家の塀がすぐあるのだが、そこを割り竹を縄で結わいた袖垣で仕切ってわずかな空間を見せ、高く仕立てたナンテンの鉢植えが置かれている。朝食で驚いたのは、ジャーを開けると中に木のおひつがあり、そこにご飯が入っているのだ。

高級なものに捕われる人には、この旅館の良さは解らないだろう。しかし、もてなしの美しさを知る人なら、とても幸福な時間を過ごせる。もう一度書くが、この宿の代金は(朝食付きで)、「T横イン」とほぼ同じなのだ(泊まる人が少なくなって値段を下げたそうだ)。

未来に向けて守っていくべきものは何なのだろうか? 僕はここで、日本の建築や文化に大きな影響を受けた近代西洋の建築家たち、たとえばブルーノ・タウト、フランク・ロイド・ライト、アントニン・レーモンドらを思い出すのである。

「西洋のわれわれには、日本の家に住むことはできないであろうし、住むべきではない。しかしわれわれは少なくとも日本人のように高く美しい理想によって規律づけられた家に住むことは半世紀ほどそれと取り組めばできるであろう。確かに、西洋はこの霊感の泉を必要としている。これだけは、西洋はうまく真似ることはできない。人種の違いが大きすぎる。西洋にとってほとんど他の何よりも日本の家や日本の家庭用品を真似ることは難しい」(ライト『フランク・ロイド・ライト自伝 ある芸術の展開』)

霞ヶ浦の佃煮を売っていた蔵づくり建築は空家となり、その上方に架かる道路には気持ち悪い現代美術風の絵がズラーっと並んでいる。なんという悲しい倒錯だろう。

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コメント

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