個展最終日。午前中はアトリエでのんびりする。伐り旬をまちがえたシラカシの薪に大量のカミキリムシの幼虫が入ってカリカリ音がしていたが、いよいよ成虫になってご登場である。クヌギとカシはキイロトラカミキリが多いようだ。薪は穴だらけで足で踏むと簡単に折れてしまう。1年たたずして「お酢の薪」になってしまった。その穴からちょうど成虫が出ようとしている場面に出くわした。
が、ヤツは胴体が穴にひっかかって出れないでもがいているのだった。ちょっと脱出穴の大きさが小さかったらしい。首だけ出して前足で万歳三唱しているのが笑ってしまうのだ。見かねて相方が木片で足場を作ってやるのだが、それでも出れない。しょうがないので最後はピンセットでつまみ出してやった。
まったく、大切な薪を食われた上に、助け出したりして何をやってるんだか。「カミキリの恩返し」ってあるのかな? などとバカな話しをしつつ高崎の個展先へ出発。
ここは駐車場がないのが難点。今日はスズラン(デパート)の駐車場に止めて、地下の蕎麦屋で遅い昼食をとって駐車券を稼ぐことにする。立ち食い系の蕎麦屋なのだが、生麺の茹でたてで量も多い。ネギもたっぷりかけ放題。「群馬の良心」とでも呼びたい蕎麦屋である。
さて、5時で最後のお客さんの帰りを待って搬出にかかりながら、オーナーの平野さんといろいろ語る。楽しい展示で1週間楽しかったそうだ。お客さんがいないときは絵地図や「山暮らし再生プロジェクト」のコピーにはまってしまったとか(笑)。僕らとしては、さすがに棗のオーナーだな、と思わせる花と器のさりげない配慮に感謝している。
今回はまた非常に難しい会場で頭を悩ませたが、鍵となったの茶の湯の精神である。茶の湯のもてなしはただ高級なものが良いのではない。その空間性と精神性の高さが勝負どころなのだ。
入り口の大壁には最初、過去の仕事のイラストマップを原画額装で飾りたかったのだが、大きな額は値段が高くてとても揃えきれない。
それに、これらの地図はクライアントの注文の元に仕上げたものなので、不本意なカ所も少なからずあるのである。が、そこに描かれた動植物は僕自身が選択し、簡略化しながらも種のエッセンスを捉え、心をこめて描いたものばかりである。だからそれを抽出し、オブジェの中に甦らせることにしたのである。
そのオブジェには養蚕の古道具と、アトリエのシュロで編んだ縄と、スギの割り材を組み合わせてある。そして抽出した動植物の名前にはラテン語の学名を入れることで、その仕事の端正さに対する気持ちを表現した。そのオブジェがあることで、次の通路に並ぶイラストマップは簡易なアルミブレームの複製でもいいことになる。いや、むしろそのことでオブジェの作品がいっそう輝く意味を持ってくる。
棗は明治初期の高崎商家を代表する座敷蔵で、重要文化財に指定されてもおかしくない重厚な古建築である。中には1階2階それぞれに床の間を持っているが、その材も驚くべき素材を、抑制を効かせた手法で使ってある。それぞれの床はケヤキの1枚板であるが、割れやそり、すき間がほとんど見られない。そして1階には黒柿が使われ、2階にはタガヤサンが使われている。特に一階の床の間上部には稀少な黒柿の中でも何10万本に1本しか出ないという孔雀杢(くじゃくもく)がみられる。
こんな床の間に似合う絵なんてあるはずがないのであって、ここはどうしても掛け軸が必用だと思った。そこで相方と相談し、ここには神流川流域にちなむ古典文学から文章を抜粋し、和紙に書を書き、みずから表装するということになったわけだ。
選ばれたのは佐藤節著『西上州の山と峠』、尾崎喜八『山と草原/神流川紀行』の一節がそれぞれ使われた。そしてもう1カ所、2階に書院の砂壁の空間があるので、そこには山田修著『すりばち学校』抜粋の小品を作ってもらうことにした。
そんなわけで、今回の個展の相方の重圧は大変なものがあったと思う。制作の間は2人で何度も相談し、じわじわと完成に持っていった。和紙は水戸の個展で用いた西の内和紙、そして筆ではなく相方が考案したスギ材を使った自作のペンで書いた。相方は文字を書きたいと以前から思っていて、僕も彼女の文字は以前からとても気に入っていて、いつか書としての作品化をするべきだと感じていた。
1階には古建築の水彩画を相方の表装で飾り、2階には「新間伐縁起絵巻」と「クラフト紙シリーズ」を。そして動線の最後、再奥の床の間の掛け軸には、尾崎喜八の神流川紀行から御荷鉾山へ登頂したときの感動的な描写を抜粋した書が架けられる。その同じ床にはスギ枝で三脚をたてて前の個展で描いた「御荷鉾の神馬」を飾った。
これらは、御荷鉾のふもとにアトリエを構え、新たな森づくりとそれに寄り添う暮らしをそこで実践し、全国へ向けて発信する僕らのメッセージが込められている。そして新作紙芝居『神流川なつかし物語』はそれに呼応する内容になっている。
最初は圧倒されるような棗の建物だったが、展示を終えてしばらくするうちに調和の音が感じられるようになった。この空間が僕らの作品を受け入れてくれたのだ、と思った。嬉しかった。それにしても、自然素材の素晴らしさというものをあらためて感じさせてもらったし、展示というものはその空間性とコンセプトが何よりも重要なのだということを再認識させられた。「何を飾るか」は重要だが、和空間では「何を飾らないか」ということが、さらに重要なのだ。
平野さん親子と記念写真を撮って、搬出を終えた軽トラックで棗を後にする。僕らは今回の個展でとても大きな収穫を得た、と思った。個展を起爆剤に紙芝居と新曲も生まれた。相変わらず作品は売れなかった。しかし、この得たものの重さを考えれば、会場の費用など安いものだと思った。
「御荷鉾の神馬」2006
帰路、群馬温泉「やすらぎの湯」でのんびり湯につかり、群馬が近づいてきたことをしみじみと実感したのだった。
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