日本人と薪


先日、わがアトリエ敷地の御神木、大カシの枝を切った。その枝を処理する。といっても捨てるとか燃やしてしまうわけじゃなく、もちろん全部薪にするのである。薪ストーブには細い枝など焚き付けにしかならないが、囲炉裏には細枝は便利なものである。大枝はチェーンソーで、中枝はノコギリで、小枝はナタでさばいていく。もちろん葉っぱは堆肥に積む。

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大中の枝は30~50cmに切ってバラのまま薪に積むが、小枝はやや長めにとりある程度の束にしてヒモで結わえて積んでいく。囲炉裏で使うには長くてもいい。枝の中心から燃して囲炉裏の中で2分割する、という技(わざ)が使えるからだ。薪が長ければ切る回数が減り、作業効率が上がる。こうして南側軒先の薪積み場が、敷地の樹木の枝伐りだけで満タンになった(カシの他にウメやクワその他、雑木も混じる)。

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新しい薪は切り口は鮮やかでういういしい。一方、昨年一昨年の薪はしっとりと古色をおびて出番を待っている。薪を積むのも大変である。薪はなんといっても乾燥が大切なので、新しいものと古いものをごっちゃにしてはいけない。使い続けているうちに、薪積みのスペースが空いてくるので、このシーズンには積み替えて、新旧の配置がはっきりと解るようにするのだ。

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というわけで、外の薪積み場のスギ薪を東側に移動した。割った薪は転がりにくいので、交互に井桁に積むと左右の止め棒がなくても崩れない。これはさらに専用の横斧で細かく割って主にチビカマでの炊事用に使うのだが、囲炉裏でも使う。しかしスギ薪は爆ぜやすいので、囲炉裏では常に小口から炎が立つように燃やし方を工夫する。木は種類、形状、割り方、切り長さ、などで、そのカマドの種類によって、最も有効な使い方をするのがよい。これには熾炭の使い方も加わる。

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いま、田舎の人たちでさえ煮炊きにカマドは使わないが、僕らはアトリエに居るときは毎日のように使っている(プロパンのガスコンロはいまだに入れていない)。放置された山間部の敷地や山林には、間伐や枝伐りを待つぎゅうぎゅう詰めの木々がたっぷりとある。それは山に切り置いて土に返してしまってもいいけれど、運べば薪として余す所なく利用できる。空間ができると木々はまた成長を繰り返す。その生長量は旺盛で(たとえばカシの伐り株から萠芽した小枝は1年で1mくらい伸びる)、僕らだけでは到底使いきれるものではない。

さて、薪が燃えた後の灰は畑にいくのだが、今日はゴボウを収穫。意外にも石を避けながら長い根を伸ばしていて掘るのに苦戦。さすがにイノちゃんもこれには手を出さないようだ。で、今晩はYKが初ゴボウ入りの粕汁をつくってくれた。

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木→火(暖・煮炊き)→灰(土)→野菜、という循環は僕らを幸福な穏やかな気分にさせる。伐採・薪積みを自分の手でやってみると、薪を大切にするものだ。そして自然を観察する目が養われてくる。豊潤な森に恵まれた日本人が失ってしまったもの、そしてこれから取り返さねばならないものの筆頭はコレダ。都市近郊でもやれるといいネ(井戸水でね)。


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