冷奴


農林水産大臣自殺、ですか・・・。林業界にも影響が? その真相は?

まったく、最近ますます肉を食う気になれませんね。一般にはあまり知られていないが、肉には化学物質の濃縮という問題も指摘されている。B級グルメの皆さん、ご注意を。

「米国における農薬使用量は1966から76年までの10年間に倍増しており、その活性成分だけで年間に、27万トンという多量の消費が行なわれている。この使用された農薬は7年から40年間、環境にとどまり、食物連鎖によって濃縮していく。陸上では植物から動物に、海中では小さな魚から大きな魚に濃縮していくわけだ。」

「農薬の多くは脂溶性なので、肉の中でもとくに脂肪組織でその濃度が高まる。図10をみると、豚の脂肪であるラードがずば抜けて高い価を示しているが、牛の脂肪の牛脂もほぼ同じくらいと思っていいだろう。」

「現在の化学物質で汚染した環境から身を守るには、食物連鎖の低いところの食品で食事を構成することがいかに大事かわかるのだが、逆に肉をよく食べている人は、動物に濃縮してきた農薬をさらに時分のからだに濃縮させて、食物連鎖の頂点に立つことになるわけである。」(『何を食べるべきか~栄養学は警告する』丸元淑生/講談社+α文庫 p.199)

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肉がダメなら魚だが・・・。

いま再開発にときめく東京の昔を、作家池波正太郎のエッセイから写してみる。

「昭和初期の。私が子供のころの東京の下町では、小学校の級友五十六名のうち、冷蔵庫をそなえていた家庭は一つきりで、それも氷の冷蔵庫で、その家は上野駅前の大きな旅館であった。

むろんテレビもなければ、冷房もなく、電気掃除機もない。(中略)

夏の夕餉には、一日おきか、ときには毎日のように〔冷奴〕が出た。一日の労働に疲れた身体を、夏の涼味にひたらせるための、もっとも手軽な食べ物が冷奴だったのである。

そのころ、午後になると、大森海岸でとれた蟹や蝦蛄(シャコ)を、蟹売りが売りに来る。

毎日というわけにはまいらぬが、三時(おやつ)に。この蟹や蝦蛄を買って食べるのが、下町に住むものの楽しみであった。むろん、いまの生活からは想像もつかぬほど価も安かった。

蟹にしろ、蛤(ハマグリ)にしろ、むかしは、私どものつつましい食卓へのぼるには絶好の安い食べ物だったのである。」

かつて沿岸の魚介類は、複雑で豊かな海岸線、そしてたくさんの河川が流れ込む豊かな汽水域、干潟をもつ日本のもっとも豊かな野生の食物だった。農林水産大臣の指揮でこれを取り戻すことができるか?

東京でのバイト時代(イラストだけでは食えず、いろいろバイトをしていた頃)、羽田空港拡張工事のためのボーリング工事の助手をしていて驚いたことがある。標準貫入試験は重りを打つたびにずぶずぶと沈んでしまう。それがどこまでも続くのだ。その地質のサンプリングを見て仰天した。すべて鉛色のヘドロなのである。ためしに指でそのヘドロを少しつまんで、バケツの水の中に溶かしてみた。モクモクと黒い煙りのような濁りが溶け出し、指についたわずかな量でバケツの中は真っ黒になった。

明治から昭和の高度成長期にかけて、重化学工業はこれほどまでに東京の沿岸を汚染してしまったのだ。そしてそれは浚渫されることなく現在の飛行場の地下に眠り続けている。

「冷奴は庶民の食べ物で、私どもには絹ごしの上等な豆腐では似合わぬ。木綿でこしたのを、奴(やっこ)に切り、生醤油へ酒をまぜた付醤油で、青紫蘇と晒葱の薬味で食べるが、このごろの豆腐は、まことにひどいものだ。

よい豆腐が手に入ったときでないと、冷奴も、

『食べるにはおよばぬ』

ことになってしまった。そもそも原料の大豆が、むかしにくらべると、砂粘土を噛んでいるような味がする。」

池波正太郎の「冷奴」はこう続く。


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