秋の畑、3年目の自然農


変遷する雑草と土の力


旅で2週間以上放置した畑だが、さすがに雑草の勢いが弱まっていてなんとか無事。取り残しのキュウリがひとつ。遅くまいた白インゲンが実る。ショウガも今年は小さいが少し。菜の花がいくらでも出てくる。これは味噌汁の具に。

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他所から見ればぜんぜん手入れしていないように見えて、雑草にやられるぎりぎりのところは草刈りしているし、ときどき木灰をまいたりしている。

自然農を始めて3年目。今年はまた雑草の種類が変わった。中央の平らなところはソバの刈り跡。その奥にサトイモと白インゲンが見えるが、その下の赤茶の草はイネ科の雑草である。ムギ、ジャガイモの収穫後に出てきた雑草だが、これは刈らずに生えるままにしておいたのだ。

この場所で花を咲かせ、生を全うさせてやるべきだと思ったのだ。今年の印象として、畑全体が生命力旺盛な感じになってきたように思う。

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2年目まではゲンノショウコが目立った場所も、今年は通称「あかまんま」・・・イヌタデが旺盛だ。その中にネギが伸び分けつしている。普通の畑では見られぬ光景だろう。僕にはすごく豊かな光景に見える。この畑には露出した土の部分がない。そして昆虫やクモがたくさんいる。

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虫たちのために


今年は虫たちのためにウドの花を切らずに全部残しておいた。そこにミツバチやハナムグリが来ている(今日の映像である)。他にも実に多種の昆虫がこの花に来ている。むろん雑草の花にも。これだけ雑草の花に満ちた場所はいま実はそんなに多くないのだ。この集落の畑はすべて雑草は取り払ってしまうし、畑の回りは除草剤などで丸裸になっているからだ。

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でき始めた野菜たち


これはニンジン。小さいけれど、今年もけっこううまくできた。初期の除草がなかなか大変だったが。

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ウコン(ターメリック)も大きくなってきた。そろそろ収穫か。楽しみ。

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大豆もそろそろ仕上がってきた。

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サトイモもこんなに大きく。無農薬、無肥料でもこんなに育つ。土にご注目。小石がとても多い土なのである。

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3年をあきらめない


放置された畑を借りて土地の人に教えを乞うとすると、

「3年くらい除草剤をまき続ければ雑草が出なくなるよ」
「その後は、化学肥料や鶏糞をたっぷり入れる」
「ときどきは農薬をまく」
「畑の周囲の雑草も厳禁、雑草の花はみな摘んでしまうといい(タネができないように)」

というアドバイスをされる。

僕らはまったく反対のことをやってきた。化学肥料や農薬はもとより、動物糞由来の堆肥はいっさい入れない。米ぬかやボカシ肥料も入れない。油かすもEMも使わない。石灰も使わない。入れるのは木質堆肥と木灰だけ。そしてわざと雑草を生やし、土の生命力と生態系のバランスを取り戻そうと考えた。

ここまで3年。失敗や実らない作物多く、カメムシの被害もあった。今年のキャベツは虫食いでぼろぼろになった。周囲からの陰口も聞こえてはいたが、ひたすらこれを守ってみた。

そして今年の秋、畑から「いままでと違う生命力」を感じたのである。

地温と母岩の養分


『現代農業』11月号に「無肥料栽培のリンゴ」はなぜ可能なのか、という興味深い記事が出ている。

自然農の土は深いところでも軟らかく、地温が高い。いまの農業では薬を使いすぎるので、地下40~50cmのところに硬い層ができてしまう。これが地中の真のエネルギーと作物を遮断してしまう。これを「硬盤層」というのだが、これを壊すには根を深く伸ばす雑草に吸い取ってもらうのがいい。

また、耕土の下の母岩には養分が多い、と書かれている。植物は土がなくても岩があれば育つ。たしかに、岩だらけの山にも太い木が生えている。不思議である。雨の多い日本では土の成分は流れやすいが、岩の成分は雨に流れにくい。そういえばこの辺の人の「石がクソをする」という言葉を聞いたことがある。石にも養分がある、ということか。

ただし、慣行栽培から自然農の転換は容易ではなく、少なくとも3年以上はかかる。とも書かれている。

多くの人はこの変換の期間が待てず、諦めてしまうのではあるまいか。山村でも周囲の目と批判が気になるのだから、もっと人間関係が数多く親密な農村では言わずもがなである。そういう意味では、ここは過疎地でよかったかもしれない。

実は平地こそ豊かなのだ


以上を読んで、「自然農は自然の豊かな山村だからできるので平地ではムリ」と思う人もいるかもしれないが、それは逆であると思う。平地というのは、もともとや山からの養分が流れてきて溜まる場所である。本当は、山よりもずっと豊かなのだ。そこをいま、毒だらけ薬だらけの農業にし、アスファルトとコンクリートで覆って、車の行き交う場所にしている。その暮らしを維持するために山にダムをつくって電気や水を引き込んでいる。

植物の生育にとって過剰な養分は、微生物や昆虫や動物がその生命活動の中で消費し、無機物に分解していく。微生物から猛禽類まで含めた緻密で壮大な生態系が、自然農に寄り添うことがまた非常に重要なことなのだ。その系はかつて平地にもあったのである。

慣行栽培に使われる莫大な肥料と薬品類。それは誰かに「使わされている」ものだとしたら?

その肥料と薬品類を使わないと栽培できないタネ、それを毎年買わされる仕組みができているとしたら?

「来年は極小でもいいから田んぼを造成しよう」

などど、YKと語りあっているところである。

追記:拍手7の人気記事です。慣行農法を真似する現代の家庭菜園に疑問を持ち、自然農に多くの人の感心が移ってきているのだと思います。


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