午前中は畑で雑草刈り。イタルさんに貰ったモロヘイヤの苗と、自分で種から育てた枝豆を植えた。アトリエの雑草だらけの畑は地元の人には野放図に見えるにちがいなく、Y先生やイタルさんの視線と評価が気になるところであるが、われわれの信念も揺るぎないのであった。周囲の畑地には雑草はほとんど生えていない。除草剤や土壌消毒で根絶やしにした後、作物を植えるか、もしくは雑草が生えてきた時点で徹底して駆除するからである。
そのような農業は、実はとても管理しやすい。目的の作物の成長だけを明解に眺め続けられるからである。たとえばY先生などは、雑草は小さいうちに引っこ抜くか平鍬で掻き取って土に混ぜてしまう方法をとる。僕らも最初それを真似ていたが、途中で雑草をある程度認知することにし、目的の作物の成長を阻害する近隣のものだけを駆除する方法に切り替えた。しかもそれは引っこ抜くのではなく、根元をカマで刈り取ってその場に伏せておくのである。畝の間に生える雑草も、あまり背丈が伸びたものはこの方法で刈る。
間違ってカマで作物まで刈ってしまうこともあり、苗が小さいうちは雑草と判別するのが大変で、除草に時間を食ったりする。間違って踏んづけてしまったりもする。雑草認知の自然農は、案外面倒くさい。だけど、この畑にはたくさんの生命のうごめきが横溢している。クモ、甲虫、トカゲ、ヘビ、野鳥。
実際、その方法でちゃんと作物は大きくなる。いまこの畑を外部から見ると、一面の緑の中に、作物がちょっと目立って伸びている、という光景になる。もし、最初から手入れを放棄すれば、作物は雑草に埋もれてしまう。だからY先生やイタルさんは、そろそろ僕らの畑の不思議な光景に気づくはずである。
肥料をやらないのはこのやり方に連動する。なぜなら、雑草がこんなに生えていては、肥料の効果は分散して、雑草も成長肥大してしまうからだ。いま、僕らは前日に焚き火に使った木灰を、作物の根元に気まぐれに蒔くだけで、他の肥料はいっさい与えていない。それでも、チンゲンサイは大きくなり、トマトもどんどん成長している。
この農法の真理や是非はともかく、プロとして出荷しない家庭菜園なら、この方法でやる人がもっと大勢いていいと思うけど、実際は作物以外の雑草は徹底排除し、化学肥料や動物糞や米ぬか・油カスを使ったボカシ肥など有機肥料を大量に投与している。無農薬を宣言する人はいても、肥料まで拒絶する人は、少なくとも僕たちの周りにはいないのであった。
植物の最も成長旺盛な夏至と梅雨のピークを過ぎようとしている。今年は雨が少ないから雑草の生え方も弱いというから、断言はできないけれど、これでやれる、これでいいのではないか、と思う。それは知識から得たものだが、「臭いのある窒素過多の肥料は使いたくない」「雑草を徹底排除するのはおかしい」という直感に根ざしたものでもある。
しかし、最初にシュンギクを蒔いたとき、Y先生の畑に比べて成長があまりに遅いのに愕然としたものである。他の作物にしても、初期成長はことごとく遅い。だけど後半にぐんぐん大きくなるようだった。ニンジンもほんとに成長が遅くて、もう諦めかけていたのだけど、いまじわじわと大きくなりだした。
僕らの畑の野菜は葉の色が淡い。間引いた野菜をそのまま台所に置いても萎びていくだけで腐敗しないが、スーパーで買った肥大野菜を放っておくと、やがて腐り始め、どろどろに融けて虫が集まってくる。この畑は前住人が放棄してから2年は雑草が生えたままだったらしい。
生命の根幹を司る野菜をつくる作業であるはずなのに、なぜか「農業とはダサイもの」というイメージが拭えなかった僕が、いま徹底した自然農に出会い自ら実践し始めて、「農業はエレガントで洗練された芸術のようなものだ」と思い始めている。しかし、まだ様子をみる必要がある。
午後から前橋に行った。繁華街の中央にある駐車場に車を止めて、散策してみた。閑散としたアーケード街。シャッターの降りた店、撤退して空家のテナントなどが目立った。前橋で驚かされるのは広瀬川をはじめとする水路の水量と勢いである。太平洋側でこんな町は見たことがない!(北陸の高岡とか、砺波平野あたりもすごかったです) 「前橋文学館」に入って萩原朔太郎を調べたりする。
しかしまあ、この詩人は、オボッチャマ君で自分で額に汗して働いたことがあるのだろうか? 残念ながら、萩朔から谷川俊太郎に至るまで、日本の近代~現代詩人といわれる作詩に、僕は震えるような感動を覚えたことが一度もないのである。脆弱な言葉の遊びとしか思えない。文学館の前に、パリから持ち込んだという石畳の石が大事そうに埋め込まれている。いったいこれは何なんだ?
榛名と赤城、そして利根の流れと豊富な地下水に恵まれた前橋とその周辺は、日本の県庁所在地として最も美しいロケーションに恵まれた地の一つではあるまいか。そして自然エネルギーのポテンシャルに恵まれた地でもあるはずだ。だからこそ、集約的養蚕などという荒技が持続できたのである。「萩朔の誤謬」と「殺された繭の恩恵」にいつまでも気づかない前橋は、永遠に再起できない。残念ながら・・・。