SHIZUKU、今年は5月10日(土)に神奈川県の「つるま自然の森」という所で約2時間の野外コンサートの予定が入っています。その前に群馬県内で小さなライブができたらな、と思っています。
昨日、ようやく仕事が落ち着いたので、実家のお寺へ。亡き父のお墓に参ったのですが、ここのお寺は新年に檀家方々を集めて読経をしてくださるのです。そこの講話で思わぬ出会いがありました。配られた資料がこれ。
驚きました。江本勝さんの『The Message from Water』だったのです。『水からの伝言・子供版』の英訳で、いまこの本を世界中の子供たちに無料で配布しているという。ホームページで日本語版を読むこともでき(こちら)英語版はpdfでダウンロードできて無償でみんなに配ることもできるそうです。
実は昨年、江本さんの本をずいぶん読んでいたのです。様々な水の結晶写真、きれいですね。これだけ見ていても楽しい。
講話は「言葉について」のお話でした。いま言葉の環境がすごく乱れている。テレビやインターネットが普及し、マスメディアが次から次へと新しい言葉を投げかける。私たちはまるで被爆しているような状態で、それらの言葉を否応なく取り込んでいる。
ところが、言葉は現実を作っていくチカラがあるのです。現実を変えるチカラを持っている。言葉は、ほんとうは大切なもので、時々メンテナンスやアップグレードをする必要がある。私たちがお風呂に入ったり歯を磨いたりするように・・・。
そこで水は言葉を理解する、という話です。紙に「ありがとう」と「ばかやろう」と書いたものをそれぞれ水の瓶に貼って、中の水の結晶を撮影すると前者は美しい結晶に、後者は壊れたような形しかできない。すごい発見ですね。
驚いたことに、水は音楽も受信してその結晶の形を変えるのです。ベートーベンを聴かせる酒蔵だか味噌蔵があると聞いたことがあるけれど、気休めではないのですね。上の左ページの二つはビバルディの「四季」を聞かせた水の結晶。右ページの上はヘビーメタルロックを聞かせたときの崩れたもの、下はヒットした日本のポピュラーソングなのだが、ヒットした曲がいい結晶とはかぎらない。
考えさせられますね。たしかにここ10数年、テレビから聞こえる新しい曲はぜんぜん心に残らない空疎なものばかり。
書き上げた林道の本の取材地、四万十川の結晶も載っていました。美しく、気品が感じられます。
ふと考えました。僕らの音楽を聴かせたら、どんな結晶ができるのでしょうか? 今年は真価が問われますね。そういえば、僕らのユニット名はSHIZUKU、まさに水の旅立ちの最初の一滴を表しています。
では、本年もSHIZUKUをよろしくおねがいいたします。