予定より遅れ気味の単行本制作にしゃかりきの暮れですが・・・外せません、餅つきだけは。
いつもの白いお餅とヨモギ餅をつきます。ヨモギは春先にとって茹でたものを冷凍してある。臼にお湯をはりつつ、湯に袋ごとつけて解凍しているところ。
さーて、これからつくぜぃ!って感じですが、実は連日の徹夜続きの仕事漬けで運動不足、足腰はクラゲのよう・・・。だいじょうぶかよ、オイ(笑)。
餅つきの周辺にはいつも湯気が立ちこめている。お湯をよく使うのだ。だから、かたわらにチビカマをおいて火を焚き、お湯を常に補給体制にしておくのだ。
そういえば、餅づくりには水がまとわりつく。まず餅米を一晩つける浸し水。それを蒸すためのふかし湯。杵と臼には餅がくっつかないようにいつも湯につける。餅のついている間の手返し水。水、水、水・・・なのだ。
美味しい餅をつくために、この水の質の影響が大きいのは論をまたない。
ここでは山の清水が使えるゆえに、その水は餅のために最良のものといってようと思う。が、町場でも昔は井戸を使っていたから、餅も美味かったと思う。井戸を取り戻すことはできないのだろうか?
と絶望的に考えていたところ、最近出会った話題が「水道水の緩速ろ過技術」。この技術をもってすれば、塩素消毒なしの美味しい水が都市でもできるのだ。いや、以前からこの技術はあった(現在も、このタイプの浄水場は少数ながら稼働している)。これはイギリスで生まれて発達したもので、文明開化とともに日本にやってきて横浜に第一号の浄水場が明治20年に完成した。緩速ろ過の構造は砂のプールの中をゆっくり水を浸透させてろ過するという実にシンプルな仕組みだが、実はこれで塩素殺菌がいらないほど、水はきれいになってしまうのだ。
なぜかというと、緩速ろ過は基本的には「生物浄化」なのだ。ろ過池は浅いプールのようなもので、上からしたへの流れは常にある。原水に栄養塩があればその中に浮遊性の植物プランクトンが発生し、それらが立体的に光合成活動をしながら栄養塩を分解していく。ここで作られた酸素は砂内の有益な微生物を育てる。すなわち、自然の仕組みを上手に利用し、人工的な伏流水・山の清水をつくろうとするものだ。
この緩速ろ過、かつては砂でろ過するだけで良質な水ができると考えられていたのだが、微生物の働きがわかったのは100年前になってからである。ロンドンやドイツでコレラ騒ぎがあったときに、緩速ろ過で水道を供給しているところは発病が少なかった。ろ過池の砂の層の中で、微生物が病原菌を食べて分解していたからだ。
砂粒の大きさを考えれば、どうして1ミクロン単位という微細な細菌やそれ以下のウイルスが取り除けるのか不思議だが、それは砂層の間を自由に動き回る繊毛虫(せんもうちゅう)の働きによる。休眠状態の原虫でも、回虫の卵でも、これらの生き物が食べてしまうのだ。その糞は嫌気性の微生物が発酵という働きにより、酸素がある状態では分解しにくい有機物も分解する。こうして、臭いさえもほとんど除かれてしまう。
こうした生物処理には、自然界の生物が安定して棲める場所と時間が必要だが、それには砂でろ過する池があればいい。生物は自然発生し、それを持続温存させる管理があればいい。基本的にはろ過池に入る水の泥を取り除くこと、それ以外の作業は水のスピード調整、オーバーフローによる過剰藻の処理、砂目詰まりの定期的除去等(けっこう職人技術?)があればいいだけ。機械もいらなきゃ薬もいらない。
戦後、流行りだした「急速ろ過」は米国由来のもので、現在はこちらが主流になっており、前処理に凝集剤を添加して濁りを大きめの塊にし、それを装置で取り除く(水処理メーカーがそれらの機械をつくっている)。ここで大量の汚泥がつくられるので、その処理も必要になる。そして塩素処理だ。日本の急速ろ過は、戦後マッカーサーの命令で、米軍が野戦で採用していた高濃度の塩素注入が導入された経緯があるのだそうだ。塩素の下限は決められているが、上限はなし。だから、安全を見越してたっぷり塩素を注入する傾向にある。で、日本の上水道の塩素投入量は世界一なんだそうです。
この急速ろ過では、薬品で濁りを取り除いても、薬品に反応しない細菌や原虫などは除けないということが近年わかってきた。というわけで、細菌よりも小さな穴のあいた膜でろ過する方法をとることになった。腎臓透析などで細菌を取り除くやりかたと同じである。でも、この方法では細菌は取り除けるが、溶けているものは取り除けない。そこで活性炭処理などがさらに必要になった。
この膜処理の穴は微細なので、膜の表面に細菌が繁殖して膜が詰まってしまう。そこで細菌が繁殖しないように殺菌目的の薬を使うようになった。なんという悲しい堂々巡りだろうか。
だったら、最初から生物のチカラを利用した緩速ろ過でやればいい。では、なぜこちらが流行らないか、というと、急速ろ過にぶら下がっている関係業界が潤わないからなんだそうです。嗚呼・・・。設計コンサルから機械屋、土建屋、さらに薬剤メーカーにいたるまで、びったりとこの浄水場設計・施行・管理によりそっているのだ。これらは複雑な系と操作を必要とするので、担当者の役人にはブラックボクスの感があり、業者のいうがままなのである。浄水場のパンフレットは業者が作っており、水道水の書籍はこれの書き写しの情報が多い。もちろん、業界が不利になる情報は隠されているのだ。
この地球上で、生水が安心して飲めるのは唯一わが日本だけだったのではないだろうか? それほど水に恵まれたこの国で、いまほとんどの人が塩素まみれの水を飲んでいる。いや、飲まされているのだ。それは、料理の味にも健康にも大きく影響している。
それにしても、最近考えさせられるのは、生き物たちのチカラである。生き物たちと寄り添う暮らしで、美味しく、豊かで、健康な暮らしができる。これは、日本古来からの暮らし方。「生物創造系」とでも呼んだらいいか。一方で、生き物たちをねじ伏せ、破壊し、その上に文明を構築していた古代ローマ帝国的な征服的暮らし方。後者は滅んでいったのだが・・・。
参考『生でおいしい水道水』中本信忠著(築地書館2002)