ふゆみずシンポジウム、静岡へ


自然農・ふゆみずたんぼ、のシンポジウムに静岡の袋井市まで行ってきた。セカンドカーの軽バン「アクティ」号が修理できたので、それを使っての車中泊の旅である。

袋井に予定より早く着いたので、お隣の磐田市まで足を延ばす。磐田市はサッカーの「ジュビロ磐田」でも有名だが、トンボの生息種日本一を誇る「桶ヶ谷沼」(おけがやぬま)があるのだ。池の周囲は常緑樹の大木が茂って、その湧き水が沼を作っている。

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コシアキトンボが飛んでいた。チョウトンボも見えた。ここにはマルタンヤンマもクロスジギンヤンマもベニイトトンボもいるらしい。そして各地で絶滅寸前のベッコウトンボが多産するのである。

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さて、シンポジウムは環境共生型農業の「ふゆみずたんぼと小規模魚道の試み」と題したもので、農水省の外郭各団体が主催。「ふゆみずたんぼ」を岩渕成紀(いわぶち・しげき/ NPO法人たんぼ、理事長)氏が、「小規模魚道」を山田辰美氏(やまだ.たつみ/富士常葉大学教授)が語った。

自然農と環境保全の最先端のレポートでもあり、ここまで来て参加するだけの価値があるすばらしい内容であった。その詳細はいずれ当HPのコンテンツ「ふゆみずたんぼと自然農」で紹介したいと思う。

さて、これは? 小規模魚道の羽根である。これをスギ材の一辺30CMほどのコの字型水路に千鳥状にビス止めすると、それが魚道となる。

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これまで農業生産のために、水路は三面ばりコンクリートのマシーンと化し、魚たちは水脈を断絶させられメダカが絶滅危惧種になった。日本の水田は、実は生き物たちにとって魅力的で魅力的で「たまらない場所」なのであり、昔は水田の水脈は海までつながっており、ウナギが田んぼまで上がってカエルを食べたりしていたし、ナマズの重要な産卵場でもあったのだ。

でも諦めてはいけない。田んぼに生物を返しさえすれば、爆発的に増えるのだ。とくに、自然農の田んぼであれば・・・。その生命活動が土を産み、害虫を緩和させ、無農薬、無肥料の米づくりを可能にする。その方法は実はずいぶん昔から各地で細々と行われていたのだが、いま私たちは近代機器の力を得て、大々的に出来るようになったのだ。

シンンポウムがひけて天竜へ向かった。スギの有名産地である。通りの金物屋のウィンドウに、先日アトリエに導入した同じ薪焚き風呂釜を見かけて嬉しくなった。町を流れる二俣川にやけに釣り人がいる。いや、いまどき町に市民がこれほど釣り糸を垂れる光景があるだろうか? 驚き、川縁まで降りて話を聴いてみると・・・

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アユだった。それも天然遡上モノである。雨で天竜川本流が濁ってこちらに上ってきたのだった。

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南アルプス南部の秘境、遠山郷近くを通って北上する。飯田で夕食、諏訪方面の道の駅で車中泊。上田で蕎麦を食べて帰る。信州は良いなあ。

でも、上田の図書館で『ゴミは田舎へ?』関口鉄夫(川辺書林1996)を読んで慄然とした。長野は大都会から運び込まれる(それは多くが企業製のものであるという)産廃施設がすごく多いらしい。今日もそこから、休むことなく煙と汚水が流れ出ている。

森を育てること、自然農、生物と寄り添うこと、そして木を燃やしてエネルギーとすること、これが今の時代いかに大切か、が解ろうというものだ。

岩渕先生が田んぼにおけるイトミミズの重要性を語っていたが、米ぬかや振り大豆はイトミミズを増やすきっかけにはなるが過剰に投入すれば死んでしまう。藁や未分解の堆肥なども地中に入り込むと土が有機酸や硫化水素で酸性に傾くのでよくない。そこで木灰や砕いた貝殻等でアルカリ中和するといいという。

自然農にとって木灰は重要なのだ。私たちは「燃やすこと」で見えてくる。悪いものを燃やせば不快な臭いをたてるが、木は燃えるときかぐわしい匂いを放つ。

お二人の講演の帰結は「田んぼから地球を考える」ということだった。けだし同感である。

んー。あのアユの唐揚げ食べてみたいな。


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