富山県の八尾(やつお)市のお祭り「おわら風の盆」を見てきた。こちらは阿波踊りとはちがって静かな踊りで、胡弓と三味線の音楽と唄で踊るのが特徴的だ。文人による歌詞や、京都系の日本舞踊的な振り付け。
踊りは複雑かつ繊細で、習得するのは相当な練習が要りそうだ。そもそも盆踊りの発展型らしいが、地元の有力者が昭和の初期にその手のプロを集めて、現在の形の練り上げていったらしい。高橋治の小説や石川さゆりの歌でも有名になり、いま全国的に有名な、数万人を集めるお祭りになった。
八尾は川沿いにある。そこから石垣で立ち上がった細長い台地にある坂の町だ。建物は高山を彷彿させる木造で格子戸があり、その風情はすばらしいものだった。そこに、夜のとばりが降りる頃、胡弓と三味線の静かな音で和服姿の踊り子が揺れるのだ。これはもう、日本の美の極地といっていいだろう。
ところが、前評判を聞いていたのでかなり期待していったのだが、結果から言うと僕的には「ハズレ」だった。いや、踊りや風景は確かに良かったのだが・・・
まず、観客に「平成のジジババ様」が圧倒的に多い。それに疲れ果ててしまった。全国から集まる数万人の観客のうち、おそらく90パーセント以上が、60歳~70歳以上のお年寄りと思われた。これは異様な光景である。
そして、その方々のマナーがよろしくない。最近はカメラ小僧ならぬカメラじじいが跋扈しており、踊りを見ている前に平気で割り込んで写真を取りまくったりする。
今回はお祭り日が平日で、夏休みが終わったばかり。確かに壮年の勤め人は来にくい状況ではある。で、このお年寄りたちが、居酒屋や酒蔵では、けっこう放埒に飲んでいる。かなり金を落として行くのだろう。ゾンビ的観光客の常として、この人たちは、人が集まるところに集まろうとする。その服装がたまらなく暗い。あるいは逆にド派手でセンスがない。
ほんとうは、地元の周辺だけの人が集まる静かなお祭りであったのだろう。そしてその頃はたしかに素晴らしかったのだろう。だいいち、踊り手が若く、その人たちの顔が生き生きしていない。子供たちに生気がない。目が輝いていない。ここが、阿波踊りとはぜんぜんちがう。
今は古き良き時代を演出しているだけ、という感じだ。この踊りの所作の原型は農作業の稲刈りであったり案山子であったりする。が、踊り手は稲刈りも稲のことも知らないコンビニのおにぎりを食べる世代なのだ。お祭りの核としての感動や感謝がない。以前書いた秩父夜祭りの虚しさ(魂のないアトラクション)にも似ている。
本当は先祖への感謝や天然自然の神への祈りであったはずのお祭りが、観客に見せるものに変貌してしまい(当初は想いもしなかったことだったのかもしれない)、町がその嘘に疲れている感じがした。祭りの本質が見失われているなら、その観客も嘘なのだ。
「平成のジジババ様」は何を見に来ているのだろうか? 古き良き日本をなつかしみに、来ているのだろうか? だけど、よく考えてもらいたい。古き良き日本の破壊を牽引してきたのは、あなた方なのではないだろうか?
これは茨城の真壁のひな祭りでも感じたのと同じだ。古いものを保存するのもいいけれど、そこに思いや暮らしがなければ、悲しくてカビ臭い倒錯的伝統保存だ。八尾の人たちはこの町の風物と踊りを「今」本当に愛しているのかな。祭りが終わったら電気とガソリンの生活に、なにごとも無かったかのように日常に戻っている。そして、新建材の家でオール電化で暮らしたいと思っているのでは・・・。
これまで見た中で、飛騨高山の「高山祭り」と、徳島の「阿波踊り」は本当に素晴らしかった。それは「観客に媚びていない・流されない」という芯があって、岡本太郎の言う「伝統とは創造することである」という強さや矜持を持っているのだ。だから、観客もそれなりに襟を正さざるをえない。お祭りそのものが神がかっているのである。こんなお祭りに出会える人は本当に幸せである。そして本来なら誰もが住む土地にそんな産土(うぶすな)の祭りがあったはずなのだ。
一言でいうなら「地元の年寄りがしっかりしている」のが一番大事なのではないだろうか。伝統の良さを引き継ぎ、統率する力を持つことである。その力で、若者たちも束ねられる。祭りは伝統を学ばせ、日本人の核にある言葉では言い表せない大切なものを、若者に伝達するすばらしい機会でもあるのだから。
おまけの画像。
夕暮れの黒姫山。この近く有名なひと住んでましたっけ。なんて思いながら。
夕食探し。地元のスーパーは群馬と同じ品揃えでめぼしいものはないのに、諦めて立ち寄ったコンビニにこんなものが! 煮物も薄味、けっこう美味しかった。7&11なかなかやるぞ。
数年前から顕著な日本海側のナラ枯れ。写真は宇奈月温泉近くの山。犯人ンはキクイムらしい。しかしその根本原因はマツ枯れと同じ、土壌の富栄養化による遷移現象? あるいは?
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