敷地の垣根にイモムシが大量発生し、お隣のKさんが薬を噴霧器でかけてくれる。葉っぱが食われて垣根の骨格があらわになると、すでに枯れている幹がかなりあることに気づく。それを手で折ったり、ノコで切ったりし、薪に使うことにしたのだが・・・
化学的な異臭に敏感なYKはその煙に反応してしまったのか、体長の異変を訴えた。私もここに来て、庭木を燃し続けて「煙の匂いが香しくない」と、ずっと思い続けていた。不快な臭いがすることさえある。旧アトリエで燃やし続けていたと同じ樹種、シラカシもあるのに、燃やすと異臭がするのである。
においというのは、重要なセンサーである。腐敗臭なのか発酵臭なのか、人は嗅ぎ分けられるようにできている。燃やしたときの煙の匂いは、異臭と感じるならば体に悪く、芳しいと感じるならば体に悪くない(むしろ良い?)と考えられる。神様がそのように人の体をデザインしたのである。
私はこの庭木燃やしたときの異臭を、長年の殺虫剤散布の蓄積と、人の都合のいいように仕立てられた庭木自身のリアクション、と考えた。
ここ桐生では夏だというのに夜の灯火に集まる虫が極端に少ない。そればかりか、蚊もいないのである。部屋に蚊取り線香を薫きしめなくても、蚊にほとんど刺されないのだ。
何か異常がおきているのだろうか。あまりにも安易に、ケミカルな除草剤・殺虫剤を多くの家でまき散らしていないか? 最近のホームセンターの除草剤・殺虫剤コーナーを覗くと、空恐ろしくなるような種類と量が売られている。
というわけで、YKの不調をきっかけに、庭木の枯れ枝を燃やすことを止め、森に入ってスギ枝を取ってくることにした。
ついでに竹林でシロインゲン用の支柱を調達することにした。
森で汗を流す。ここには新鮮な空気が流れている。
午後は足利まで出向き、東京の出版社と仕事の打ち合わせ。
ガチャポンは調子良く、組み続けているうちに、水もだいぶ金臭さが消えた。飲んでも美味しく感じられるようになった。そしてチビカマで焚いたスギ葉とスギ枝薪は、芳しい匂いがした。
山で汗を流したらYKはすっかり元気になってしまった。汗を吸った衣類は井戸水でじゃばじゃばと洗って干しておくと、すぐに乾いて快適。
やっぱり「火」と「水」による浄化なのであった。
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