最近、林業雑誌なんかに「チェーンソー・アート」の記事がよく載っているけど、はっきり言ってオレはあれ好きじゃないぜ。しかも、伐倒した生の伐り株に直接アートしちゃうヤツもいるらしい。なんか可愛そうというか残酷というか・・・(そう思わないのかな?)。アートならちゃんとノミと彫刻刀でやればいいじゃん。ガソリン使ってオイル使ってうるさい音たてて排気ガスまき散らして、あんなものに夢中になるヤツの気が知れん。
「チェーンソー・アート」で村おこしだって? はっきり言おう。山村の「旧住人」でチェーンソー・アートに理解を示す人はほとんどいないと思うよ。木は使うもの。売り物。燃やすもの。そのために植えたんだからね。そして機械や燃料は、大事に使うものなんだ。ムダなことは絶対にしない、それが山に生きるってことだ。それが自然の中で暮らす「掟(おきて)」なのだ。
チェーンソーのオガクズは新聞に春巻き状に巻いて燃料にくべたこともあるが燃えにくいんだよね。そこいくと刃物ではつった木屑はカマドや囲炉裏で使えるのでまったくムダがない。そう、夏の囲炉裏もいいもんだ。多少の煙があると蚊取り線香なんか要らないし。
前に伐採したクワの木の枝が乾いたので燃してみた。むかしカイコをやっていた頃、クワの枝は囲炉裏の燃料によく燃したと聞いていたが、たしかによく燃える。使いやすいのだ。こんな枝、いまどきは畑のすみに捨てられるのがオチだが、とっておけばよい燃料になる。
アトリエのあがりかまちの板が合板で腐って踏み抜けそうになっている。合板はダメだ。湿気を吸って内部が波打つようになり、やがて接着剤が剥がれてくる。それを燃やしてみると、化学的なニオイとカビ臭いニオイが合体して、非常に嫌なニオイを放つ。囲炉裏で燃やすこともできないのだ。
スギの間伐材ならいくらでもある。そこで薪の中から厚板の採れそうなものを選んで、ヒマなときにヨキではつっておいた。それを並べてクギ打ちしていく。電動工具もあるにはあるが、今回はいっさい使わない。ノコギリ、カンナ、ノミ、キリ、木づち、かなづち、とすべてが手仕事だ。手仕事のいいところは、身体が心地よく疲れてくれることだ。
「あっ、今日は七夕だ!」
突然YKが言う。そっか、すっかり忘れてた。じゃ、冷蔵庫に白ワインが冷えていることだし、ちょっと凝ったものでも作るか。コロッケをつくってみた。自家製ジャガイモ、ニンジン、イタルさんから貰ったタマネギ、それで半分はカレー粉を入れて。
クワの木、囲炉裏で燃やしてコロッケ揚げる。いい七夕じゃないか。
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