囲炉裏部屋づくり/床はがし


囲炉裏部屋に改装しようという部屋は、本体は築110年と古いのであるが、昭和50年代に大改装して合板の床と天井による近代的ダイニングキッチンになってしまった。

最後はおばあさん一人で住んでいたということもあって、この部屋のフローリングには絨毯が敷いてあり、掘りごたつが据えてあり、テレビや仏壇まで置いてあった。囲炉裏部屋にするにはとにかく前の改装で手を加えたところを剥がしていき、元の空間に戻すのが手っ取り早い。

今日は床を剥がす。合板の厚板ではめ込まれたものをパールで剥がしていく。

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束(つか)と大引(おおびき)は角材だが、根太(ねだ)は太鼓落としの材が使われている。ズギ・ヒノキの間伐材のようだ。皮付きのものもある。湿気もなく各材の傷みはないのでもう一度使えそうだ。

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L字型に土間を作る予定なので不要な部材を外していく。根太と大引は3寸(9cm)の釘が打ってあるので外すのもけっこう大変。掘りごたつの組み込みを複雑な釘打ちで角材がなかなか外れない。でも、むかしバラシ屋(型枠解体)のバイトをやってたことがあるもんで、バールの扱いは得意。

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掘りごたつはFRP製だった。外すと下はこのようになっていた。

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予想していた通り、玄関からの動線に続く部分はコンクリートが打ってあった。不要な大引をノコでカット。

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昼は外に出て昼食。出版社から新著の初版売り切れ&増刷の知らせが入ったのでお祝いだ♪ 藪塚でライブ空間に改装中の友人宅を見学にいったり、ソケットを買いにいったり。

というわけで、夕刻、電灯もついた。電灯といえば、天井裏の配線がけっこう複雑で、写真のような接続部の保護カバーが梁に2カ所付いている。なにしろコンセントが4カ所×2個口、外部にも2系統の配線が続いている(井戸用の電動ポンプと洗濯機用)。電気釜やテレビは使わないのでコンセントを減らして少し単純に戻す。そういえば、現代の台所は電化製品だらけでコンセントがたくさん要るんでしたね。

今回の古民家は一度改装の手が入っており、梁には碍子(がいし)の線(死んでいるもの)も残っていたが、それは外した。ところが新規の配線で、見えないところで奇妙な手抜き配線をしている場所があった。外に出ていた複線の先が結ばれていて、単線の役割を果たしていたのである。今のブレーカーは漏電防止装置がついており、1カ所でもつなぎ間違うとブレーカーのスイッチが飛ぶようになっているので助かる。

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夕刻、さっそく中にチビカマを入れて火を焚いた。ここで裸火がともるのは囲炉裏がカマドが撤去されて以来何十年ぶりのことなのであろうか。

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煙もよく抜けるようだ。天井を外すと、片流れの屋根の角度が30度くらいあり、その最上部にの壁に横穴があるので、煙が集まるようになっているのだ。外部から見ると下写真矢印のところが穴になる。煙抜きの穴は横に広げることができる(今は板が打ち付けられてる)ので、板をちょうつがいとヒモで内部から開閉調節できる装置をつけようかと考えている。

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それにしても、土壁と土間の清涼感はすばらしい。ここで火を焚くとますます空間が清められる感じだ。

天井剥がしと床剥がしの作業、どちらも開始1~2時間くらいはホコリの臭いで気持ち悪くなり目眩がするほどである。とくに床からは薬剤(おそらく防蟻・ダニ・カビ材)の異臭がして外で空気を吸い直しながら続けたほどだ。

それが、化粧合板を剥がして土壁を出し、土間を箒で掃除し、火を焚いたことであっという間に空気が入れ替わり、瑞々しい清涼感が空間を支配する。これは本当にスゴいことだ。土壁は煤けて真っ黒で、剥がれ落ちた(もしくは剥がれそうな)箇所さえあり、梁や柱は前の改装で傷だらけ、それでも本物の空間というものは、人の健康や精神までも変えてしまうものなのだ。

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昔の木造民家は、台所などの水回りは「外屋(げや)」といって本体家屋(居住部)から片流れ屋根で外に突き出す形で作られる例が多い。本体家屋は角材で組まれているが、外屋は古材を使い回ししたり、例外なく曲がりの丸太が使われている。私たちが借りているこの古民家も例外ではない。水回りを外屋につくるのは、水を使う場所は建物が傷みやすいので、改修しやすいようにという配慮からである。

ところで、角材ではなく、なぜ丸太を使っているのだろうか? まず製材手間がないので自分で伐り出せばそのまま使えるという簡便さがある(買ったとしても値段は安い)。もう一つは丸太は製材による繊維の断ち切りがないので、細いわりには構造的に強い。

しかも梁にはわざと曲がり材を、反力の強い方向に使っているので、見た目よりもさらに強い(重量が軽いことも幸いしている)。しかもカマドと囲炉裏で燻しているから虫食いもなく腐らない。そしてすべての部材が裸でさらされているので、補修箇所がすぐに発見でき、補修も容易である。だから、間伐材程度の細い部材の建築でも100年は軽く保ってしまうのだ。

現代の私たちの暮らしと建築は、これらにすべて逆行し、エネルギーを浪費しつつ(作業効率だけは良いのだが)、解体時に膨大な粗大ゴミを出す、というおまけまでついている。

曲がり材や細い材を山に捨てている、といういまの林業形態、そして角材でしか作ることのできない今の職人大工の技術、乾式工法に流れてしまった左官、それらも考えさせられるところである。


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