材木岩、鯖湖湯、郡山の静(9日目、萬寿園再訪)


4号線には道の駅はないんですね。結局、脇道に入り、宮城県の「道の駅七が宿」へ。ダム湖畔の駐車場で、珍しく閑散とした場所だった。道の駅もいろいろなのだ。朝の駐車場。

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今日の目標はまず朝風呂に飯坂温泉。そして郡山で昼食をとること。札幌のUと出会った母校N大工学部は郡山にあるのだが、yuiさんがその周辺をせひ見てみたいのと、N大工学部時代に通った中華屋でメシを食おうというのである。

出発するとなにやら「天然記念物」の看板が。つられてその方向へふらふら。材木岩という奇勝らしい。

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ぐわ、けっこう凄い。柱状節理だ。玄武洞、東尋坊、高千穂峡といろいろ見たけれど、これもなかなかのものだ。

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岩棚には腐葉土が自然に溜まって、表土が豊かになると、樹木が自然に生えてくる。すごいですね、日本の植物繁茂力は。

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福島に入り、飯坂温泉へ。前回は工事中で入れなかった鯖湖湯へ。まずはこの建物がすばらしい。

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湯はかなり熱め。ホースで水を引き入れてようやく入れる温度に。アルカリ泉だが仄かに硫黄臭もして道後温泉にも似ている。二日前に入った強酸性の恐山温泉の硫黄臭がまだ身体から消えていない。とにかく強力な温泉だった。だからここで、アルカリで中和するのだ。旅の「上がり湯」というわけである。

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郡山に入る。途中、ラジオで鳩山首相や大臣たちの演説を聞きながら行く。開成山公園を過ぎ、懐かしいN大界隈が近づく。

が、ずいぶん郊外店が増えたことに驚く。「萬寿園」はたしかN大3年のとき、アパートの近くにできた中華屋だった。ここのホイコーロ定食は人気だったが、私なんかはバイト代が入ったときなんかは八宝菜を食べにいったりしていた。

学食に比べたら味は雲泥の差なのは当たり前だが、ここは普通の大衆中華じゃない、と思ったものだ。店は今も繁盛していてかなり大きくなっている。

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リーズナブルな日替わりランチもあるようだが、まずはホイコーロ定食。

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これを白いご飯にのっけて食べるシアワセ♪

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味を確かめるために半ラーメンを頼む。真っ当にスープとってます。ウマ・・・。そして。

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・・・・・・八宝菜!

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N大工学部OBの皆さん、写真で味わってください(笑)。

会計時に奥さんにN大生であったことを告げると、最近も岐阜からN大OBが食べにやって来たとのこと。いつかここで仲間と同窓会やりたいなぁ。なんていいつつ萬寿園を後にしたのであった。

郡山では気になる場所があった。静御前の史跡である。静御前とは、義経を支えた最も強力なパートナーだ。私は学生時代に4年間、郡山にいたのだが、歴史には興味がなかったので、静御前の史跡がここにあるなんてまったく知らなかった。

しかし行ってみると、極めてまっとうなお堂や石碑が建てられている。うらぶれた看板だけかと思っていたが、とんでもなかった。厳かであった。「静御前堂奉賛会」というものまであり、この地区の人たちは800年の間、静の伝承を受け継いできたのである。

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iPhoneでHPをくわしく調べてみると、なんと、

「静御前堂奉賛会」の会員が、1999年6月17日、義経伝説が残る、北海道平取町の義経神社を訪れ、二人は歴史的な再会を果たしました。

とある。私たちが旅の最初にアイヌの二風谷を目指して、偶然巡り会った義経神社である。

郡山市の奉賛会が平取町の義経伝説を聞きつけ、ご神体を引き合わせることを町に提案。会員たちは、静御前堂に収められた立像の写真を額に入れ、ご神体を額に移して持参、 二人は雪の吉野山で別れて以来、 814年ぶりの再会が実現した。

という。

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1999年といえば、ちょうど10年前。平成11年、北海道神宮ミラクル1並びの年だ。

静御前堂前で写真を撮ってもらう。ここで、デジカメの容量4Gの今回の旅の最期の写真が終わった。二つ桜の樹をくぐって、静が入水したといわれる美女池やかつぎ沼もまわった。

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人望、才能に溢れていながら、権力に振り回され、アイヌの原始共同体に慰安したであろう義経。彼は大陸で成吉思汗になりながら、静を思い続けていたのか・・・。私たちは義経が描いた「新しき国」という命題を果たさねばなるまい。

yuiさんの運転で、その日の夕刻には桐生に着いてしまった。

車のキーを抜く。開高健のサインが刻まれたキーホルダーが光る。Uとの共通項のひとつだった思い出の開高健は、晩年にチンギス・ハーン墓探しの夢を描いた、そしてかの地モンゴルで巨大なイトウを釣り上げ人生のフィナーレを飾った。このキーホルダーは私の旅のお守りでもある。平成22年2月22日はもうすぐだが何が起こるのかな?

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この後、近所の居酒屋で旅の打ち上げをしていたら、思わぬカラオケ大会になってしまった。という経過はyuiさんのブログをどうぞ。


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