山を後にして


神流川河畔の旅館に泊まった。鬼石の町中の下流にあり、風情を欠くが、ここは八塩温泉(冷泉なので本来の呼び名なら「鉱泉」)とよばれる強烈な塩泉・炭酸泉が出るところで「日本秘湯を守る会」の宿の一つにもなっている。

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この建物はかなり良いものだと聞いていた。いい機会なので今回泊まってみることにしたのである。ところが、いつものことながら格安プランに手を出してしまい、新建材のぺらぺらの狭い部屋になってしまった。しかもその3階の部屋はトイレがないので、廊下を歩いてトイレに向かうのだが、廊下は冷房が効いておらず、風通しが悪く、新建材の化学臭とカビ臭が充満して、気持ち悪くなってしまった。

古い鉄筋コンクリート+合板+クロス張りの建物は、いま最悪である。現在は法律で24時間換気が義務づけられているが、昔の建物にはそれがない。壁が湿気を吸わず、湿気の逃げ場がないのでカビがでる。だから化学薬品を常時掃除に使うのであろう。それに塩ビクロスの毒ガスが交じった空気が、夏の暑さと梅雨の湿気のダブルパンチで廊下に充満しているのだ。たまったものではない(これは先日の行田の博物館でも味あわされた)。

部屋に1カ所だけある窓も、片側のカギが壊れていて全開にできず、網戸がついていない。夜はクーラーをかけながら少し窓を開けて、川風が入るようにしたのだが、おかげで蚊に刺されてよく眠れなかった。最初から、木造漆喰の別館を指定すればよかったのだが、そこは宿代が格安プランより4000円ほど高い。この4000円がいまの私たちには出せない、それが情けない。

翌朝、別館を見に行った。もう一度、ここに泊まれる日が来るだろうか?

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ふと、私の頭に「政務調査費」という言葉が浮かんできた。多くの県で(もちろん群馬も)議員の調査研究に資するため必要な経費の一部として「政務調査費」というものが、月30万円(年間360万円)支払われるのだそうだ。これは年収とは別枠にである。なんとも羨ましい(凄い?)話だ。

考えてみれば、私たちもこの集落支援員に関連してずいぶん調査研究をしている。持倉の伝承のルーツを辿る南牧村の黒滝不動への旅、椹森の石と中央構造線の関係を知るために「埼玉県立自然の博物館」「譲原地すべり資料館」「神流町恐竜センターの館内展示」視察、冬のマス釣り場の収入源の可能性を探るボルダリングの奥多摩現場調査などなど。

これらは全部自費である。集落支援員にそんな調査は不要だ、と思われるかもしれないが、現地の人と深く突っ込んだ話をし、さらに信用を得ていくにはそれなりの勉強と探求が必要だ。なにより、自分たちの居場所に新しい価値や創造の可能性を見いだしたとき、山村の人はとても喜ぶ。

わずかだが、集落支援員活動として県から日当や旅費の一部をいただいている以上、何がしかの成果を上げなければ、と思っている。ここに住む人たちのために。

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宿を出て、午前中はファミレスで涼をとりつつPCで前日のレポートを書き、午後から椹森へ。宿で朝飯をたっぷり食べたので昼食は抜き。

椹森集落の一番奥に住むおじいさん。何か困ったことは?「金がないのが困るよ。年金が月8万だけだもの」。

6件目のTKさん宅で「上がってお茶でも」と出されたのが、先日手揉みして作ったという自家製茶。先日、和紙を貼った「ホイロ」を直すと言っておられたが、本当に和紙を入手し、ノリも小麦粉で作り、それでお茶を仕上げたという。色もよく出ており、味もまずまずのいいお茶に仕上がっていた。ビニール袋に入ったそれを見せていただいた。袋を開けたとたん、ふわっと爽やかな茶の香りがした。

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その一部始終をビデオに撮ったのを液晶テレビ画面で見せてくれた。ホイロの熱源は炭。キャンプ場のバーベキュー囲炉裏を利用されたのである。一緒にサツマイモを焼いて食べたそうだ。

ご主人はは子どもの頃、製茶を手伝ったことがあり、副産物の焼き芋が楽しみだったという。5月に会社を停年退職。いまは草刈りに精を出し、第二の人生を楽しんでおられる。炭焼きもやりたい、とおっしゃっていた。

この家にはツバメが二つ巣を作っている。この季節、2世代目のヒナであるという。巣はヘビにしばしば襲われることがあり、過去には奥様が追い払う一幕もあったそうだ。

帰り際に旧アトリエを訪ねるが、イタルさんは畑にも姿が見えなかった。

スーパー林道沿いの山では作業道がつけられ、間伐が何カ所かで入り始めていた(中にはコンクリート舗装された奇妙な道もあった)。このルートの間伐はこれまでまったく手つかずだった。私が鬼石の桜山の間伐遅れを前振りに技術書を書き上げて7年。ようやく森林組合による間伐が始まった。なんともはや・・・である(2年前には作業道の本も書いた)。

しかし、すでに手遅れの山もある。下写真の場所などは、数年ごとに雪や風で木が折れ、雑木が侵入している。よい木があまり残っていないので、道を入れて収穫する価値のない山だ。自然の斧(おの)による強度間伐が入ったと思えば、環境的に良い山に変化していると言えるが、災害前に間伐を施しておけばすばらしい経済林に変わっていたはずである。

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そしてその下の沢には、堰堤工事が成されたが、すでに土砂が堆積して緑に埋もれていた。

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