魚を食べる国の人は


朝、ホテルを出て町をぶらぶら。今回は定宿T横が満室で取れなかったのWホテル、だから朝飯ないので町へ。昨日食べたベーグルサンドの店へもう一度。今日はパンプキン。

middle_1282251889

パンはいろいろチョイスできるが中はベーコン・レタス・卵で統一なのが惜しい。高松は魚が美味いのだから、たとえば新鮮なアジやサワラなどをボイルしたほぐし身を、香川産オリーブオイルや藻塩やハーブを使ってサンドイッチの具にすればすばらしいものができよう。魚フライをはさんでもいいだろう。鮮度のいい魚は生で食べるだけでなく、芯にわずか生が残る程度の火にかけるとすばらしく美味しい料理になるものだ。

しかし、四国に上陸して初日にあるパン屋レストランで食べた白身魚のポアレはぜんぜんダメだった。おそらく冷凍魚で火も通し過ぎ。魚の旨味が消えて塩味ばかりが残っている。ソースの飾りが大仰でたいそうな値段をつけてはいたが・・・。

若い感性が「魚」に向いていかない理由もわからないではない。今の家庭料理や外食ではそれに気づく機会がないのだ。

ところが、香川のカラオケスナックでは驚くほど美味しい刺身が出てきたりしてびっくりする。そして、夏はスダチが出回るのが嬉しい。個人スナックのマスターはいただきさんを利用して仕入れる場合も多いようだ。自転車に市場直行の魚をカヤ箱に積んで、アーケード街を流してくれるいただきさんの存在が、高松の夜をいっそう魅力的なものにしている。

middle_1282252135

昼間、紀伊國屋書店で涼みながら太田龍著『宇宙一危険な発狂中国』を立ち読み。というか、最近の大型書店は椅子が用意されているので座って斜め読みでほぼ読了。「没後1年、残された中国関連原稿から精選。暗黒の歴史、作り上げられた経済発展の姿などを描いた日本人必読の文明指摘中国論」。

正史に「食人」の記述があり、あの孔子すら人肉を食べていたという衝撃の内容。なりふり構わぬ中国の発展の裏には環境汚染だけでなく、自然の核としての森林荒廃、砂漠化がある。それは当然、海も汚染荒廃させていく。人肉を食べるなどということがあるなら、その環境への無関心さも納得できる気がする。

海魚を食べてきた私たち、水田の恩恵を受けてきた私たちに日本人は、常に川の流れに接し、その大本である森を見てきた。いまそれも壊れつつあるけれど、中国よりはマシなのかもね。魚食いでよかった?


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください