講演のスライド編集


明日から大地の再生の打ち合わせと静岡のイベントに出かけねばならない。9/1の静岡のイベントでは45分の講演と1時間半のワークショップが予定されていて、講演のスライドはたいてい前回(@香川大学)のものをアレンジして再構成するのだが、2年前の「国営讃岐まんのう公園」での講演会で初めて図示構成した私の来歴「住んだ場所と野外活動遍歴」に加えて、今回は屋久島のアプローチから三省との出会い、そして「再生」というテーマに至る文化的・書籍的遍歴を図示してみたいと思った。

というのも、静岡浜松で行われる「ラブファーマーズ」というイベントは、アメリカ・カルフォルニア州の「エコファーム・カンファレンス」をモデルに生まれたものなのだ。これは当然カウンターカルチャーの流れを受けており、辿ればビートニクの文学運動にも行き着くに違いないのである。

ビート詩人の一人であるナナオ・サカキを初めて見たのは2000年に湯島聖堂で行われたポエトリー・リーディングの会場だった。ここで山尾三省やゲーリー・スナイダーにも出会ったわけだが、翌年東京西多摩のあきる野市で行われた野外イベントで、僕は偶然にもナナオと同じステージに立つことになる。もちろんナナオは自作詞の朗読。そして僕は、前の年に完成した紙芝居『むささびタマリン森のおはなし』を演じたのだった。

私はその会場に、ゲーリー・スナイダーの詩をナナオが翻訳した『亀の島』を持って行き、ナナオにサインを入れてもらったのだが、残念ながらこの貴重な本は引っ越しのゴタゴタで紛失してしまった。

その後、ナナオさんとは個展のパーティや群馬の前橋でまたステージをご一緒したりした。が、僕としてはやはり山尾三省との縁を、今回の講演で表現しておきたいと思った。いま、三省の詩がリバイバルして多くの若者の共感を得ていることもある。

僕はイラストレーターとして『山と溪谷』という登山雑誌でデビューし、その後同じ会社の『Outdoor』という雑誌で長くイラストの仕事を続けてきた時代があった。その中で自分が持ち込んだ企画で自分自身がモデルになってバックパッキングの旅をする誌面づくりをやったこともあるのだが、実はちょうどその頃、山尾三省が同誌で屋久島発の連載を始めたのだ。

それは高野健三さんの渋いモノクロ写真を伴った、実に深みのあるエッセイで、僕は三省という詩人に釘付けになった。そして、時代はいま冒険やアウトドアから「定住」「再生」に向かっているな・・・と静かに感じていた(僕自身もアウトドア遊びから森林ボランティアに移行したときでもあった)。

三省はそのエッセイの中で、旧友でありアメリカの環境詩人であるゲーリー・スナイダーに再会し、その対談が『聖なる地球のつどいかな』という単行本に結実する。この本はいちど絶版になり、2013年に別の出版社から再販されたが、『Outdoor』時代にお世話になったデザイナーの松澤さんが装丁した初版本(山と溪谷社1998)を、僕は大事に持っている。

昨年の「大地の再生講座@屋久島」で矢野さんに出会ったのは青天の霹靂だったが、さらにその旅で三省のアトリエに逢着したのには縁を感じないではいられなかった。いま矢野さんは「流域生命主義」とでも言うべき定理にたどり着いている。これはゲーリー・スナイダーらが唱えた「生命地域主義/バイオリージョナリズム※」を思い出させる。

そんな想いを反芻しながら、深夜まで資料を作りを続けた。

※Bioregionalism:1970年代から北カリフォルニアを中心にはじまった草の根運動。政治的に分離された地域や地方ではなく、生態地域を基礎に境界を置くという考え方。


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