昭和期の日本を代表する作庭家、重森 三玲(しげもり・ みれい)は岡山県の出身で、活動拠点は京都であったが四国にも頻繁に足を運んでいて香川にもいくつかの作品を残している。彫刻家イサム・ノグチとも親交が厚く、
「イサム・ノグチはパリのユネスコ本部の庭園を作るに際して重森三玲から阿波の青石を選定するように薦められ、重森と80石を選択した。そのとき重森は四国の旧阿波国分寺、保国寺の豪快な石組みを案内した。更に茶室の作り方を愛媛県西条市の越智家で教え、既に出来上がっていた高松市の増井家の茶室と露地を案内した」
「日本庭園は自然石を活かしながら、石組みすることにより、新たな生命を吹き込むことである。同じ石を組んでも石を活かさなければ単なる石塊になってしまうのである。重森は具体的な石組みを通して、その要点をアドバイスしたと思われる」
(以上ウェブサイト中田ギャラリー←石を釣っているイサムや増井家での重森とのツーショットなど貴重な写真あり)
つまりイサム・ノグチは重森三玲を通して自然石と日本庭園 に開眼した。その重森が作庭した高松市増井家の庭の見学会があると聞いてさっそく申し込み、行ってきた。
ここは、高松のアーケードの中心であるドームから西に一直線に進んだ旧街道にあり、私たちは自転車でよく通ってい場所であったので(こんなところに重森三玲の庭があったとは・・・・)と興味津々であった。
増井家の外観である。この街道には格子戸のある町家がいくつか残っている。そのなかでも風格がある。