熊野から友人が遊びに来たので五色台を周遊。
瀬戸内海歴史民俗資料館を案内する。五色台は高松市から坂出にかけて海沿いにせり上がった溶岩台地の山で、道からの展望もよいドライブコースである。大部分が瀬戸内海国立公園になっていて山上の道沿いに宿泊施設や博物館などが点在する。山中に四国霊場第81番札所白峰寺、82番札所の根香寺があるので、ときおりお遍路さんの姿も見かける。
瀬戸内海歴史民俗資料館はまず建物がよい。内部はコンクリート打ちっぱなしだが、外壁は工事の際に出た石を積み上げてある。設計は当時香川県建築課課長であった山本忠司。石はイサム・ノグチのパートナーだった泉正敏さんが積んだものだ。
庵治石や小豆島から運ばれた大阪城の石は花崗岩だが、ここは溶岩台地の上で安山岩が出る。黒っぽい硬質な石だ。それを割って整えながら積んである。
躯体はコンクリートなのでいわゆる「練り積み」だ。つまりタイル張りの要領でいいのだが、そうは見えない。実に端正にときに大胆に、力学的に破綻がないように積まれているように見える。それにしても、気の遠くなるような膨大な量である。
屋上からの長めは抜群だ。瀬戸内が一望できる。建物は屋上のハイサイドライトから自然光を取り入れている。
その光が館内にやわらかく落ちる。知らない人は蛍光灯の灯りと思って気づかないだろう。コンクリート型枠はスギ板でその木目が壁に表情をつくっている。
テーマ展「負子の世界-民具が語る伝播の証拠-」をやっていた。負子(おいこ)とは木製のフレームザックのことである。一般には背負子(しょいこ)と呼ぶ。
四国や瀬戸内の島嶼地方は急峻な山に段々畑をつくったところが多く、負子は毎日の生活に欠かせないものであった。
薪や収穫物を運ぶだけでなく、段々畑の補修などに土や石を背負って運んだりしたわけである。
さて皆さん、↓このコレクション何だか解りますか?
天秤担ぎのための「担い棒」もまた非常に大切なツールであった。右のおばちゃんは桶を頭に載せて運んでいるが、この頭上運搬のための当て布(円座)も展示してある。
担い棒を「オーコ」、頭の当て布を「ワ」と呼ぶ。
この資料館は和舟や漁具のコレクションも素晴らしく、船大工の道具か工程、また石工の道具なども陳列してある。瀬戸内の魂がここにあると言ってもいいだろう。建物がそれにぴったり合っている。そして、なんと入館無料であるところがまたすばらしい(だから私は何度も見に来てるw)。
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おまけ。熊野の友人が五色台の下の海で夕刻、60cmもある魚を釣ってしまった。ルアー(ジグ)でしゃくっていたら沖で掛けてしまったんだと。夜、高松で飲む約束をしていたのでどこか居酒屋に持ち込んで料理してもらおうか、と思ったが、なんせこのご時世なので1軒目で却下。翌日私がさばくことに。
魚はニベである。関東でいうイシモチですな。刺身で食べ、アラは味噌汁にした。いや実に美味かった。瀬戸内の魚おそるべし。Nさん、ごちそうさま♬