やなせたかしの「オイドル絵っせい」


愛媛、西条から寒風山トンネルへ。R194の紅葉見物。

middle_1385962424

middle_1385962549

加茂川支流の谷川。青石(緑色片岩)の谷だ。このまた支流には能登半島の千枚田に肩を並べるほどといわれる「天空の棚田」千町(せんじょう)の棚田がある。

middle_1385962551

トンネルを抜けると高知県。吉野川再源流の深い谷にスギの造林地。皆伐が各所で行なわれている。

middle_1385962552

高知で一泊して翌日は物部川方面へ向かい、香美市のアンパンマンミュージアムへ。あんぱんまんの作者は今年10月、94歳で亡くなったやなせたかしさん。1999年から高知新聞に連載されていた「オイドル絵っせい」の挿絵原画を見る。

やなせさんといえば、私は高校~大学時代にやなせさんの詩画がプリントされた陶器カップを愛用していたのだ。その詩文と絵はいまだになんとなく覚えていて、

青ざめきった野の果てに
ひとつぶの星がきらめいている
私は小さなトランク持って
あてない旅に出ようとする
銀河鉄道始発「絶望号」は
まだ来ないのか

という詩に帽子をかぶった少年が膝をかかえてトランクとともに座るイラストがついていた。アンパンマンがあのやなせさんの作品だと知ったのはずっと後のことだった。

アンパンマンは遅咲きの作品で、やなせさん50歳のときのデビューなのだが、最初は大人向けのものでキャラもかなりちがっている。絵本「あんぱんまん」はその4年後1973年に絵本が出た。当初は評論家や保護者、教育関係者からバッシングを受けたらしい。貧困に苦しむ人々を助けるという内容が、児童には難解だと言われたそうだ。

ところが、不思議なことに幼児層(2~3歳児)に、やけにウケる。保育園などでボロボロになるまで読まれ、本の獲り合いになり、お母さんに「読んで」とせがまれる。

そしてテレビアニメが大人気番組となり、キャラクターグッズなども爆発的に売れ、やなせさんは一躍売れっ子になった。やなせさんを救ったのは2~3歳児なのだ。これが凄い。子供は嘘をつかない、真実の言葉や絵の真贋を見抜く(ある意味恐ろしい)。

高知新聞「オイドル絵っせい」の挿絵はむかし私が知っていたやなせさんのタッチそのままで、すごく良かった。やなせさんが長らく編集長をしていた『誌とメルヘン』のバックナンバーをいくつか読むことができた。ひょっとしたら私は、やなせさんに少なからず影響を受けていたのかもしれないと思った。

middle_1385973926

やなせたかし記念館

おまけ。三越百貨店の包装紙・パッケージデザインは猪熊弦一郎で有名だが、当時のやなせさんは三越宣伝部のグラフィックデザイナーで「Mitskoshi」の手書き文字はやなせさんご自身のものらしい。そういえばご自身のサインのラインによく似ている。

middle_1386031468


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください