米松(ベイマツ)の真実/その2


北米大陸で育林されている人工林ベイマツ。50年サイクルで伐採し、樹高40mで胸高直径が60cm。

これに比べ、日本に拡大造林時に植えられたスギ・ヒノキは現在ちょうど40~50年生になっているものの、間伐不良林ではヒノキの胸高直径など20cmしかない林分もあり、スギにしてもほとんどが30cm以下。

しかし人工林のベイマツは単純計算で年輪幅が6mmもある。これで強度が出るのだろうか? ちなみに、鋸谷さんと私の本の中では平均4mm幅以下の年輪を推奨している(強度間伐による太り過ぎを枝打ちによって抑制する)。

曲げ強度の指標として「ヤング係数」というのがあるのだが、

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この表でみると、たしかにベイマツは梁や桁など横架材に適した強度を持っているようだ。ヤング係数はヒノキに比べて1.4倍、スギでは1.6倍以上ある。多少年輪が粗くても、十分太刀打ちできそうである。

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さて、もう一つの疑問である。考えてみたら北米の原生林のベイマツはすごく年輪が細かい。それに比べて人工林ベイマツは粗い。これは効率良く林分を回すために成長を早める施業をしていると考えられる。確かに、写真で見ると(Weyerhaeuser社プロモーションビデオ)木の畑のように管理され、強度間伐が施されている。日本の線香林とはぜんぜん趣きがちがう。

では原生林の年輪の細かさは? どういう理由で説明できるのだろうか?

これについて森林の生態と造林の研究者である藤森隆郎(ふじもり・たかお)氏の的確な解説があるので紹介しておこう。藤森氏は若い頃ワシントン州の隣のオレゴン州で1年半にわたって調査研究した経験を持つ。ちなみに、私は「山崎記念農業賞」受賞フォーラム(2004)で先生にお会いしたことがある。藤森さんも学生時代チョウの採集(ゼフィルス)をやっていたそうだw。

以下、『森との共生』(丸善ライブラリー2000)から。

「日本の林業を圧迫している米国北西部、カナダ西部の太平洋岸沿岸の米マツ・米ツガなどの針葉樹は放っておけば針葉樹が生えてくる地帯、すなわち夏涼しくて乾燥し、冬温暖多湿な針葉樹林帯で生産されたものである」

「その理由は、太平洋を挟んで反対側に位置する大陸東岸の日本と、大陸西岸の米国北西部の対照的な気象条件によって説明できる。米国北西部では夏は太平洋に高気圧、大陸に低気圧が発達し、冬は大陸に高気圧、太平洋に低気圧が発生するために、夏は北西の涼しい風が、冬は南西の暖かな風が吹き、しかも北西の風は寒流であるカリフォルニア海流の上を通って吹いてくるので、水冷式クーラーのようにさらに涼しい」

「日本の風向きはこれと逆であり、夏は太平洋の暖流の上からの南の風が、冬はシベリアの寒気が北西から吹き出す。我々には冬は北西から冷たい風が、夏は南から暑い風が吹くのが常識になっているが、それは日本の常識に過ぎないのである。米国北西部の夏の乾燥と涼しさは天然の除草剤であり、それに耐えられるのが針葉樹であり、その多くが林業的有用樹種だということである」

「そこでは下刈りやつる切りなどの保育作業は一部を除いて不要であり、針葉樹林の生産力は日本のそれよりもはるかに高い。しかも日本の地形ほど複雑急峻ではなく、作業効率は悪くない」

「なお、日本でも亜高山帯では、モミ類やトウヒ類などの針葉樹の純度の高い森林が成立するが、アカエゾマツなど一部を除いては材質が評価されないこと、気候条件が厳しくて生産力が低いことや、その地域では環境保全的機能を重視しなければならないことなどから、針葉樹林帯での林業はごく一部に限られている」

そもそも針葉樹は進化の遅れた樹種で、広葉樹と競合すると負けてしまう。だから厳しい場所(乾燥地、岩場、冷涼地)などに追いやられ、そこで純林をつくる。というわけで自然状態では成長が遅く、年輪が細かい。

しかしその針葉樹は林業的有用樹種が多く、育てやすいこともあり、日本ではほんらい広葉樹が繁茂する場所にスギ・ヒノキを植えているのだ。そのため競合する植物を下刈りして育てねばならず、北米北西部に比べて多大な手間がかかる、というわけである。

前にも書いたが(こちら)林業家の中には植林の木を放置することを、「年輪が詰まって育つからいいのだ」などと開き直って(あるいは木の生理が理解できていない)、間伐遅れを放ったらかしにしておけば密な年輪のいい木が採れる、などと勘違いしている人たちがいる。

天然林で針葉樹が密な年輪になるのと、人工林施業地で密な年輪になるのとでは意味がまったくちがうのである。

アメリカのベイマツ人工林施業地は、ベイマツの天然林が適合する植物環境的に厳しい場所で行なっている。それを人工的に早く育つように(強度間伐で)施業している。

日本のスギ・ヒノキ人工林施業地は、広葉樹や他の植物が旺盛に繁茂する場所で行なっているのだが、間伐遅れで生き枝が少なくなっているために成長が抑えられ、近年は極端に年輪が密になっている(年輪幅1mm以下になっている木も少なくない)。

そのような施業の勘違いを正さねば、豪雨の降る日本では表土がどんどん流れ、山は痩せ、やがて土砂崩壊をもたらし山をダメにしてしまう。

それにしても年輪の密な木材に対する偏愛はどこから来るのだろうか? ここには古代・中世の社寺建築がそれを使っていることへの信仰に似たものがあるように思われる。これらの用材はほとんど過去の天然林から伐り出したものだ。

ともあれ藤森隆郎『森との共生―持続可能な社会のために』(丸善ライブラリー2000)をじっくり読んでみてほしい。このような名著が絶版になっているところが、日本の森林・林業のなんとも悲しい理解力の低さを物語っている。考えてみれば私の『「植えない」森づくり』(農文協2012)は藤森さんの本を裏から補完する内容になっている。


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