ここで逆打ちになってしまった。33番札所「雪蹊寺 」へ。手水鉢に学校帰りの子供たちがたむろして、柄杓から水を飲んだりしている。高知の子供たちは天真爛漫で、実に子供らしくていいのだ。
今から15年前、高知県の大川村で「森林と市民を結ぶ全国の集い」に参加した帰り、この寺に立ち寄ったことがある。フェリーまで時間があったので桂浜を散策し、そこから戯れに雪蹊寺まで歩いてみたのである。いわば私の初遍路だった。大川村で鋸谷さんに出会って私の人生が大きく変わるきっかけとなったこの旅は『新世紀をさがしに──旅日記1999.8.18~23』という絵日記にまとめてある(いずれ公開しましょ♬)。
本堂は新しく生まれ変わっていた。
木製の鰐口は珍しいかも。
大師堂。種間寺と順序を入れ替えたせいかツアー客はおらず静かだ。
ここには鎌倉時代の仏師運慶とその息子湛慶が来山し、運慶が薬師如来像と脇侍の日光月光菩薩を、湛慶が毘沙門天と両脇侍像を彫ったといわれている(特に湛慶のものは足枘銘から真作とされる)。
納経所で「運慶の仏像は見れないのですか?」と訊ねると、2日前以上に予約を入れれば拝観できるそうだ。
また来よう。