剣山山頂大祭で神輿を担ぐ


剣山にはソロモンの秘宝が眠っているとか大祭の日がノアの箱舟がアララト山に漂着した日で京都の祇園祭の神輿渡御の日でもある・・・というような古代イスラエルと剣山の伝説を知らないわけではないが、なんとなく興味本位でそのお祭りに行くには至らなかった。祇園祭は行ったことあるけど・・・。

今回は辰巳さんからのお誘いの流れで17日に剣山へ登ることになった。前回登ったのは2017年。今回で3度目の登山になる。ノリさんから回ってきたお祭りのチラシを見ると一般参加者でも有料(5,000円)で大神輿をかつげる、というので僕も申し込むことにしたのである。

マイクロバスで参加メンバーと坂東商店から出発し、2時間かけてリフトの乗車口へ。かなりの人出であり、単独で車で来たらよほど早い時間でないと駐車場が確保できないようだ。

リフトを使えばあとの登りはそれほどでもなく、天気は最高だった。花は少なかったがそれでもナンゴククガイソウの群落や下の神社付近にはキレンゲショウマも見られた。

場所で待機1時間ほどで山頂の肩の小屋と神社に着く。受付で申し込みをすると白いはっぴとハチマキが渡され、それを付けて、

まずは神社の裏側にそびえる大岩の御神体「宝蔵石」の前でお祓いを受ける。

神輿をかつぐメンバーはみな若い。リーダーとおぼしき人が「この中で神輿を担いだ経験あるひと〜」と掛け声したので僕も手をあげる・・・というなんだか拍子抜けするような展開(笑)。

実は僕は東京の西多摩日の出町在住時代に羽生の神輿会に入っていてかなりハードに神輿を担いだ経験がある↓。

むささびタマリンが見た羽生の神輿story( ものがたり)」2003.3【きりんかんだより】参照

その大神輿はさすがに古びて風格があり、重量もかなりある。持ち上げて神社の前に行き、御霊入れが始まる。その後、いよいよ斜面の担ぎ。やや左に傾いたササ原の急斜面を登る。初心者に担がせるにはちょっと危険なルートだ。

なんとか無事担ぎ上げる。剣山の山頂は「人工の山」との説があるほど平坦で、見通しがよい。

頂上では祝詞をあげたり武者が刀を使った演舞をしたり様々な演目が繰り広げられる。ギャラリーも大勢いて、僕の知る他県の人もいて驚いた(向こうも驚いたと思う/笑)。毎年描かれる今年の一文字は「大地の再生」を見透かすかのように「風」だった。

このとき三つの御霊を描いたお札のようなものが運ばれていたのだがその一つに「安徳天皇」とあって驚いた。あとで知ったのだが、この山頂神社には

・素戔嗚尊/須佐之男命(すさのお)
・大山祇神/大山積神(おおやまつみ)

の他に
・安徳天皇(あんとくてんのう)

が祀られているのだ! ネットでは以下のようにこの祭りを安徳天皇が主人公と考える記述もある。

「壇ノ浦の戦いで散った平家悲運の幼帝・安徳天皇の霊を慰める祭りである。実は天皇は壇ノ浦で亡くなってはおらず、源氏の追手を避けて剣山に逃れたという。幼帝はここで崩御し、栗枝渡(くりしと)八幡神社に祀られているとか。安徳天皇の神輿は山頂近くの宝蔵神社から”平家の馬場”を渡り頂上をめざす。平家のシンボル赤旗を手に雲上を六根清浄を唱えながら進む」(NPO日本の祭りネットワークHP)

昨日は義経の戦勝祈願の忌部神社で阿波踊り、そして今日はその敵対犠牲者である安徳天皇を神輿でお運びするという・・・なんというアンビバレンツ(❗️)。

御神体「宝蔵石」の下には・・・

「劔山本宮宝蔵石神社の裏手には、源平の戦いに破れた平家の一行が安徳天皇と共に劔山に逃れてきた際、安徳天皇の宝剣を納めたという巨大な磐座(いわくら)があります」(劔山本宮劔神社HP

下りは神輿が転がらないようにロープを引く役をやった。

神輿を終えて着替えて、ふたたび道を下ってリフトでおりると下の神社のお神輿担ぎも行われていた。これは地元の貞光川の筋の人々のものらしく、 「古見茶屋&発酵一宇」の小野寺夫妻や「風空縁紡」の岩崎さん親子がいるのだった。

下山して途中「剣山 木綿麻温泉」に入って、この夜はひとり高松に帰還。明日はツアーに参加された辰巳さんグループ3名がアトリエにお泊まりになる。


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