神島と書いて「かしま」と読む。田辺湾にある小さな無人島。かつて原始の森として南方熊楠が最後に残した島である。
思いもかけず取材中にこの島に渡れることになった(島ごと天然記念物のため普通は許可なく入山禁止)。さる学術シンポジウムのオプショナルツアーに入れていただいたのだ。
「こやま」の岩礁に船を付け、上陸。いちいがしの会の副会長である玉井先生に解説をいただく。
この島に特異なハカマカズラ。まだ花はつぼみだった(開花写真こちら)。南西諸島には普通だが本州では極めて稀。幹は木質化して太くなり、直径は人の太もも程にもなるというから驚きだ。
これは昨年のタネだ。マメ科の特徴をよく表している。昔このタネを数珠(じゅず)に使い、とくに熊野詣での御守りとして珍重された。神島では地元民がこれを採取して京都の仏具屋に送っていたという。
林床にキノクニスゲ。これも神島を特徴付ける。
バクチノキ。バラ科、別名ビランジュ。樹皮がはがれて木肌が出るのを、博打に負けて身ぐるみはがされた様子から付けられた。
昭和4年、昭和天皇行幸のとき南方熊楠が植物や粘菌類について解説したのは有名な話だが、神島にはこれを記念して「一枝もこころして吹け沖つ風 わか天皇のめてましし森そ」と詠んだ熊楠の歌碑が立つ。隣に天然記念物の石柱。それにしても、よく晴れてくれた。
ほんらいは極相のタブに覆われた原生林だったが、この半世紀で神島の森は大きく疲弊した。1990年代よりウミウとカワウの集団が居着くことが多くなり、その糞による被害が顕著になった。2000年に入って中程度の台風で大木が折れた。
枯死しかけた木にツル植物がまとわりついて痛々しい。本来は、ここにタブの大木がそびえていた。
熊楠は「神島を天然記念物に指定したのは、特に珍しいものがあるためでなく、むしろ周辺の森林がどんどん荒らされる中で、せめてこの島がそのまま保存されれば、それがどんなものだったかがわかるだろうと思ったからだ」という気持ちでこの島の保護に尽力した。
玉井先生によれば、この半世紀の森の疲弊の真因は解らないが、いま少しづつ回復のきざしを見せているという。
熊野の森の6割をスギ・ヒノキの人工林化し、その手入れを怠って緑の砂漠と変貌させ、便利さを追求するあまり界面活性剤入りの化学洗剤を多用し、融雪剤の塩化カルシウムを撒きまくり、抗生物質入りの人工飼料で海の生態系を脅かす。そのツケを神島の森が表現しているように思える。
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帰路につく。右前方に見えているのはホテル川久。バブルの絶頂期に建てられた超高級ホテルだが、10年ほどで倒産。買収したカラカミ観光も経営不振で売却を予定しているとかいないとか。神島が、熊楠の御霊が、その変遷を眺めている。