多度津、本通りを歩く


多度津といえば昔よく通っていたラーメン屋「富家」があるんだけど、その帰り道に町なかを探ろうとしてもパッとしたものが見えてこない。その中でこの桜川はなかなか印象的である。香川の川は雨が少ないせいか河口付近は葦などの植物に覆われるところが多いのだが、水量がある上にちょっと運河風で風情がある。

あとは街道沿いにちょっとレトロな建物がぽつぽつ残っているくらいで、通り過ぎるとすぐに丸亀や善通寺に近づいてしまうのだ。が、今回足で歩いてみて初めて古い町並みを見ることができた。それらは外部からの車が入りにくい細道に展開していたのである。

ここはかなり大きな蔵だった。多度津は江戸時代に北前船の港だったらしい。

中は瀬戸内国際芸術祭の秋会期の多度津まちなかプロジェクト作品「海と路/一太郎やあい」が展示されている。「一太郎やあい」は多度津の桃陵公園にある銅像で、日露戦争のときの愛国美談で全国に知れ渡ったという物語をモチーフにしたもの。だがわれわれの目を射たのはその建築構造材の梁の凄さである。2階に上がるとさらに凄まじい太さのうねった梁に度肝を抜かれる。

そしてこれが本通りの古建築群。「重要伝統的建造物群保存地区」申請中とのこと。

昔の銭湯をカフェに改装したお店まである。知らなかった! こんな場所が香川県内にあったなんて!

内部は保存状態がよく、このまま銭湯で残せば良かったのに・・・と思わせるほど。そのレトロ具合もいいのである。

京都の船岡山温泉やささら西陣を想起させた。カフェになっていていろいろグッズなども販売している。

さらに本通りを進む。右手の桃陵公園の山腹に見えるのは金剛禅総本山少林寺。少林寺拳法の総本山である。五重の塔みたいな建物は大雁塔(だいがんとう)といい中は少林寺拳法の歴史資料館になっているそうな。少林寺拳法って日本で創始された新興武道なんですね、知らなかった・・・。

さて、本通りの最大のお目当はこの建物、合田邸こと「旧合田家住宅」である。豪商・事業家・政治家として近世から近代にかけて活躍した合田家が当主三代にわたって順次建築した大邸宅である。

中には非公開だが洋館もある。

大広間。漆塗りの和風シャンデリアと折上格天井(おりあげごうてんじょう)。これは昔なら将軍や大名の部屋に取り入れられるモノ。柱はみな四方柾だった。

なぜ多度津がこんなに栄えたかというと、先に書いたように江戸時代の重要な貿易船である「北前船」の寄港地だったからである。なぜ港に多度津が選ばれたのか興味深いが、まずは天然の良港という地勢、そして雨が少なく日照りに悩まされる香川では珍しく地下水が豊富であること(船運には洗浄水や飲料に水が大切)、そして近代になっては善通寺に旧陸軍第11師団(現・陸上自衛隊善通寺駐屯地)があり軍隊や物資の移動は多度津港が便利だった。

というわけで多度津は四国の鉄道発祥の地でもあり(明治22年讃岐鉄道株式会社が多度津を起点に丸亀~琴平間/16.4kmで営業)、電力事業も多度津が先駆けであったらしい。それらにまつわる近代商人が7人いて「多度津七福神」と呼ぶそうな。先の巨大な蔵の持ち主もそのひとり。

桜川が運河風なのは、まさに物資を引き入れる運河だったのであり、また讃岐三白(砂糖,綿,塩の三大産物)が全国へ移送される起点でもあったのだ。いやまいった。香川に来て11年、多度津、ぜんぜん知らなかった。。。

続く


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