早朝に淡路島を出発。途中でやっちゃんから連絡が入る。午前中の予定(別件の下見)がキャンセルになり、15時頃までフリーになった。ちょうど京都が近づいたので洛内に入り、大原から安曇川を周り湖北に出てみることにした。
安曇川は大変おもしろい流程の川で気になっていた。京都の奥地を源流に、比良山地の裏手を流れ高島から琵琶湖に出るのだが、琵琶湖に注ぐ川としては湖東の愛知川とともに最も太い流れの川のひとつ。この川を地図で眺めるとき、僕にはどうしてもビワマスの遡上と産卵の光景が目に浮かぶのである。途中の朽木という場所も気になる(トチノキ巨樹があるらしい)。
洛内の桜は半分近く散っていたが、それでも春の京都は華やかで、どこか町家カフェにでもしけこんで、春の日差しをぼんやり眺めるのもいいか・・・などと思ったりもするが、これから怒涛の庭造りと縄文小屋ワークショップを控えているので、そんな気分に浸れない。
大原はちょうどサクラが満開だった。このブログには書かれていないが生前yuiさんと大原の寺を巡ったことがある。旅荘茶谷という人気宿で泊まって、国宝 阿弥陀三尊坐像のある三千院や、平家の建礼門院が余生を送ったという寂光院などを巡った。
大原周辺もやはり荒廃人工林が多く、雪折れの跡が目立った。やはり気になるのは間伐が入って木漏れ日が差しているというのに、草がほとんど生えていない人工林だ。緑の広葉樹がわすかに生えているのはシキミである(毒草なのでシカは食べない)
地表はこんな感じ。乾いてパサパサ。小石が浮いている。
苔が生えている場所もあるが色が悪くパサついて、土を掻いてみるとヒノキの葉っぱの古い堆積物しかない。ここまで表土の状態がひどいと、皆伐しても自然再生は難しいかもしれない。
森林組合お得意の切り捨て間伐材の等高線置き。表土流出を防ぐという名目だが、ご覧の通り表土は流れ切ってヒノキの根が浮き出している。
しかし、車道がすぐ近くにあるというのに、なぜ材を切り捨てるのか? 細くたっていろいろ使い道はあるだろうに・・・。そう、車道に沿ってずっと人工林だらけなのだ。これで「木材が足りない、ウッドショックだ!」などと業界は騒いでいる。いったい何なのだ!!!
もっとも横架材※が採れるほどの太い材はいまだ少ない。間伐が遅れて年輪幅が極小だからだ。そして、間伐が遅れて枝が枯れ上がってしまい、生き枝が少ないために、これから頑張って間伐してもすでに手遅れ・・・太れないわけである。
※横架材:柱ではなく梁(はり)や桁(けた)など横方向に使う材。柱材に比べ応力がかかるので縦断面が必要になり、それを製材から得るには胸高直径で50〜60cmは必要。
面白い杉を見つけた。日本海型のアシウスギである。枝が垂れて地につくと、新しい株ができる。京都北山の台杉のルーツでもある。
さらに進むと顕著が雪折れの跡が・・・。しかし下層植生がまったく回復していない。20年前には考えられなかったことである。昔ならわずか数年で草や広葉樹のパイオニア・ツリーが空間を埋めてしまい、風雪害の形跡がわからなくなるほどだったが・・・。
安曇川の源流部が出会い始める。
しかし支流がこんなトンデモ・コンクリート構造物で流入していたり・・・
道を挟んでソーラーパネルがあったりと(しかも一部がへしゃげている)・・・これがあの安曇川の源流域なのか?と幻滅させられた。
それでも雑木林が残る山肌にはヤマザクラが咲き、ビワマスの遡上を夢想することはできる。
道の駅に入ってみた。意外にも鯖寿司が名物らしく(高島市朽木地区は福井県若狭と京都を結ぶ「鯖街道」の宿場町だそう)、かなり美味しそうだったので購入。旅先ではヴィーガンをついつい緩めてしまうのであった。ついでにフキノトウも購入。これは今晩の打ち合わせ宴会のお土産に。
鯖寿司は京都の「いづう」もかくや、と思われる出来ばえ。しかもラベルを見ると添加物は無しだ。いや〜すばらしい、上田妙子さんごちそうさまでした!
※すばらしい鯖寿司だったのでのちにネットで調べてみたら上田妙子さんは朽木で「花ごよみ」というランチ・カフェを営むおかみさんでした。次回は寄らせていただきます♬
琵琶湖が近づく。途中で水を取られたり堰堤があったりと、ビワマスの受難を思う僕であった。
湖北の半島のサクラを巡ってみた。ジャストタイミングで人出も多かったが、渋滞にも巻き込まれず彦根へ。
鯖寿司ではちょっと物足りないで、彦根城の近くで十割り蕎麦を。
彦根城のサクラはかなり立派!
これはさすがに県外からも見にくるレベル(というわけでICまで渋滞に巻き込まれる)。
明日の石の庭造りをやるヨシゾー君宅に予定時刻に到着し、石をチェックしながら打ち合わせ。夜は宴会へ。