「大地の再生」イベント前夜


「大地の再生」に初めて出会ったのは2年前の屋久島講座であった。それから本を書くために取材を重ね、そしてとうとう自分の敷地で講座を開催することになった。

ただの流れで講座をするのではない。施工をするだけの十分な理由があった。ここに暮らして5年が経つが、開墾して畑を作り、植樹したりして分かったのは、地面が固くてこのままでは木が育たないということ、そして一番奥に湿地帯があること。

敷地はひょろ長の台形で、この湿地帯のところが実はいちばん横幅が広い。そしてお隣が空き家になったことも重なって、この部分が猛烈なヤブ(クズとセイタカアワダチソウなど)になっている。

今年は夏まで取材に奔走していたこともあって、草刈りが間に合わず、奥のヤブが手付かずになってしまった。するとヤブ蚊が大発生して、畑に行くのに秋の遅くまでメッシュの蚊除けをかぶり、手袋と長袖で肌を隠さねばならないほどだった。中には手袋の上から刺してくる蚊もいるのである。

ベイカは瀬戸内海でとれる小イカで内臓も目玉もそのまま食べれる。新漬けの小豆島オリーブ、ケーパーとトマト味で煮る。墨袋を持っているので仕上がりはトマトが茶変する。パセリをたっぷり入れて完成

矢野さんは打ち合わせに来るたびに敷地をチラ見してくれるのだが、僕がすでに大地の再生的な手法で土地を管理し始めていることや、奥の惨状を見て「これは年内にやったほうがいいね」と言うのだった。

いずれにしても、この家を建てたとき「外構(エクステリア)」にはいっさい金をかけなかった。母屋でサイフがすっからかんになったこともあるが、最初から植栽をするのではなく、四季を通じて住んで土地と対話しながら解を見つけていきたいという思いもあった。

しかし大地の再生の取材を重ねて、施工後に劇的に変化する環境をいくつも見て「これはいつかウチもやらねばダメだな」と感じはじめていた。とくに保育園側の植栽木がほとんど背が伸びない。そして奥の湿地には小池を作ることで解決するとともに、水棲の動植物をすまわせるといいなぁと前からイメージしていた。

ウチの屋号tortoise+lotus studioは讃岐の「ため池」由来で、Tortoiseは水に棲むカメ、Lotusは水に浮かぶハスという象徴的な動植物から名付けている。ハスの花が咲くほどにできればなお素敵ではないか。

というわけで矢野さんの過密なスケジュールを縫って予定が作れるのが12月の13日のみ、ということに相成ったわけである。オーガナイズは滋賀の「大地の再生/たむたむ畑」のやっちゃんと、「大地の再生/岡山」の圭子さんが担当してくれ、大阪の庭師サニー・リリー夫妻が協力してくれることになった。

4人とも僕の敷地に一度は来たことがあり、様々な現場で会っているので気心が知れているし力量もみている。圭子さんは元々僕の本の読者であり、それに影響を受けて現在の古民家再生の暮らしにシフトしたという経緯があるのだが、今や重機も操れるほどになっている。そして岡山から助っ人を連れて来てくれ重機の手配もしてくれることになった。

Gomyo倶楽部からは4人が参加して、猪肉入りの手打ちうどんを昼食に出してくれることになった。その他おやつやお茶の手配、駐車場の確認などいろいろと忙しい。下屋の片付けと、敷地にまだ転がったままの薪を片付けたりパルテノンきわの草刈りなどをやった。

昼頃、買い出しに戻ろうとする頃、やっちゃんたちがトラックに資材を満載してやってきた。そこから1品料理(ベイカのトマトソース/上写真)を作り、夕刻には和歌山からT夫妻がやって来た。Tさんは屋久島で出会っていっしょに海で潜ったことがある。映画『祝福(いのり)の海』の映画監督で、今回は映像も撮ってくれる。

夜になって福島から岡山に移住したというH夫妻が子連れでキャンピングカーで、そして同じく岡山から助っ人の2人が来た。3合の米を2回炊いて、おかずはベイカ・トマトにおでん、刺身、サラダなど。

資料づくりが遅くまでかかって結局寝たのが2時。6時には起きて朝食の準備をしなければならないので、いつもの大地の再生取材のときと同じく4時間睡眠になってしまった(笑)。


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