朝からすごくいい天気で、松山城にリフトで登ってみた。昼食にうなぎを食べて映画館近くのカフェでコーヒーを飲んで時間をつぶした。するとカウンター越しに若いマスターに話しかけられ、これから見る映画「ジャズ喫茶ベイシーのドキュメンタリー」のことを伝えると、僕がミュージシャンだと思ったのか「何か楽器をされているんですか?」と訊かれた。
昔ギターひいてライブハウスに出ていたこともあるくらいだから、ミュージシャンでもあったのは嘘ではないけど、本業はイラストレーターで物書きなわけで、そう伝えると「どんな絵をお描きなんですか?」とこんどは奥さん(?)がたたみかけて来た。
最近はじめたnoteはヘッダから僕のイラストをたくさん載せており、広告もないのですっきりして見やすい。こういうときスマホは便利だ。さっとnoteの僕のページをひらいて「こんなのです」と見せる。
強面(こわもて)でジャズ映画を見に来た中年男が、むささびタマリンみたいなマンガキャラを描いていてちょっとズッコケたかもしれないが「やさしい感じの絵ですね」と、誰からも言われるように、2人はそう褒めてくれた。
僕のギター体験は大学時代の10代終わり頃とやや遅い出発だった。人前で歌い始めたのは友人の結婚式に請われたり、紙芝居をやるようになってからだが、音楽として純粋にやり出したのはパートナーyuiさんとの出会いが始まりである。
yuiさんの声と歌唱力、そしてクラフトの創作物に惚れ込んで、いっしょに紙芝居と個展のプロジェクトをはじめたのはまだ東京にいた2002年のことだった(そのへんの話は電子書籍『むささびタマリン物語』に詳しく書いたが販売元が閉鎖されてしまったので、いずれKindle電子出版にでも公開するつもりだ)。
このプロジェクトがいったん完結したと同時に山暮らしを始めた僕らは、さらに音楽にしぼって活動をはじめた。それは主催者やお客さんたちの要望でもあった。それぐらい彼女の声は魅力があった。僕は仕事で東京の人形劇団に長く出入りしていて、そこで彼女に歌ってもらったことがあるのだが、周囲の反応をみてこれはいける・・・と確信を持った。
のちに父上から聞いた話では、高校時代にカラオケに連れられてよく歌っていたとき、東京のレコード会社からスカウトを受けたこともあったらしい(その話を彼女は僕にいちども話してくれたことはない)。
問題は僕のギターの腕前だった。なにしろ忙しい山暮らしで木工や石垣積みや畑やらをやっている。その合間に練習をし、彼女と歌合わせしてハモりを作ったりしたのだ。控えめで練習をしたがらないyuiさんをうまくのせながら、デュオを組んでSHIZUKUのスタイルを作り上げていった。
いちどなどライブの直前に木工でノミで指を切ってしまい、絆創膏で傷をくっつけながら、なんとかごまかして演奏をやり遂げたこともあった。県庁のイベントや桐生のライブハウスに定期的に出るようになり、舞台をこなせば上達するはずなのに、なかなかそうはならない。
とにかくギター1本と彼女のパチカによるリズムセクションというのはギター奏者からするととてつもない重圧で、1音の失敗も許されない(もちろん失敗の連続ではあった)。それを弾き語りで、しかもyuiさんの裏をとってハモりながら・・・今思えばよくあんなことをやっていたものだ(笑)。
さらに同時並行で『山で暮らす 愉しみと基本の技術』を書いていたのである。あの本はDTPを自らやって仕上げた3回目のチャレンジで、出版形態としても新しいレイアウトスタイルを作り上げたという確信があり、予想以上に売れた。
BASIEはしみじみと良い映画だった。学生時代にジャズとサンバやボサノバに開眼させてくれた渡辺貞夫が、現役バリバリで元気な姿を見せていたのが感動的だった。音楽っていいな、音楽をやっていて本当によかった・・・と、出演者のだれもが歌いあげていて、シンクロした僕も最後は涙が止まらなかった。
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