いきなり衝撃画像で恐縮ですが(笑)Gomyo倶楽部のトイレです。以前は鋳鉄管を立てて便座に座ってするタイプのポットン式にしていたのだが、「大地の再生」で習った「風のトイレ」がものすごい分解能力なので次回の観察会イベントまでに有志で造り替えようということになったのでした。
原理的にはポットン穴の両側に空気道をつけて微生物による好気性分解を促進させるというもの。使用後には炭と落ち葉(腐葉土)を撒いておく。紙も分解するのでそのままでいい。1日にせいぜい数人の使用ならこれが便利である。
Gomyo倶楽部では建物周囲と敷地の一部、とくにため池と棚田が森へと続く緩衝地点の草地を、「風の草刈り」や「風の剪定」で保全するようにいま僕が指導している。誰しもそうなのだがGomyo倶楽部のメンバーも草刈りとなると地際から徹底除草しようとする。
しかしそれをやると地際や浅い地中で卵や幼生期、また蛹になっている生き物たちはあたかも絨毯爆撃をされたようにダメージを受けてしまう。適度な草原を残すことで湿度や日照の安定が生まれる。だが、人目線で作業していると物理的な「見た目効果」だけをついつい追い求めてしまうのだ。
ただし地際刈りがすべて悪いと言っているわけではない。建物周りや歩道、畔際などは地際刈りでいいのであり、そこが風みちになって建物や周囲の環境を保全することになるのである。
手ガマで刈っていた時代には必然的にやや高い刈り方になり、また草を牛や馬など使役動物の餌にしていたので徹底除草するということはなく、モザイク状に刈っていた。結果的にそれは生き物たちにも優しい刈り方であった。
エンジン式の刈り払い機が登場して、同時に牛や馬が必要なくなり、刈り方は全国的に激変したわけであるが、と同時に希少な山野草もいっせいに消滅していった。手ガマで刈れば目視できるので植物を選択的に残すことができるが、競い合うようにエンジンカッターで地際から刈れば元も子もない。早く再生する(多くはイネ科の)植物が勝ってしまい、植生が入れ替わってしまうのだ。
森林ボランティアで全国を視察していたとき、長手の手草刈り鎌を使っていた山林労働者のおじさんが、ササユリを選択的に残して刈っていることを知った。また、山暮らし時代に僕らはあえてエンジン式の刈り払い機を使わず、手ガマだけで草刈りを続けた。
その結果、敷地や古民家の周りにクリンソウやヤマユリが再生し、それらにチョウが吸密に訪れるようになった。苗を植えたわけではない。選択的に刈ることで、自然に芽生え、年を重ねるごとに自然に増えていったのだ。それは驚くべき変化だった。そして、それらは書籍やインターネットの情報のどこにも書かれていない事実(やり方)だった。
またエンジン機器が導入されたと同時にコンクリート構造物が増え、地中の気・水脈の通りが悪くなり、ヤブ化が促進されていった。だからここにもメスを入れる必要がある。思えば僕らの群馬での山暮らしは「大地の再生」に似たことを知らず知らずやっていたのだ。
その証拠に拙著『山で暮らす 愉しみと基本の技術』の第1章は「木を伐る、草を刈る」で始まっており、その副題は「光と風を取り戻す最初の仕事」としている。そして「チェーンソーは山暮らしに必須のエンジン機器だ」が、「草刈りは、最初はエンジン機器を使わず手ガマでやったほうがよい」とはっきり書いている。
「最初の草刈りくらいは自分の手で、そうして敷地の植生を観察する時間を持ちたい」(『山で暮らす 愉しみと基本の技術』P.16)
この考えは今でもまったく変わっていない。しかし、敷地の植生を把握した上でナイロンロープの刈り払い機による「風の草刈り」を覚えたなら、この考えは変えてもよい。
Gomyo倶楽部のトイレの場所はかつての棚田跡であり、私たちが活動に参加した当時はヒノキが植えられており周囲はササでヤブ化していた。しかし、よく観察してみると棚田跡の法面にはチャノキが多数植えてあり、モチツツジも見える。
手ガマで選択的に残せば来年から環境は激変すると思う。それに伴う昆虫相の変化もまた楽しみである。