福島県三春町、福聚寺「大地の再生ライセンス講座」2日目。昨夜の続きで中庭の工事から。まずは矢野さんの挨拶。
この中庭は旧本堂と改修された庫裡(くり)の間にある。建物の裏手にあるコの字型に囲まれた中庭なのだが、両方ともかなりの大建築で、しかも雨樋がないので屋根からの雨落ちが集中する。
そしてコの字の開口部の先には文殊堂と呼ばれる長い建物が立ちふさがっており、その前には以前から小さな庭と旧水路がある。建物の改築で生まれた中庭空間の雨処理はもちろんだが、さらに石や植栽の配置によって、旧水路と小庭園とを融合させねばならない。
雨が降り出した。
中庭の中央に石で組んだ空(から)の水路。少し離れて庫裏側の雨落ちに沿って、昨日剥がした土モルタルを部をさらに掘って炭と竹などの有機資材を入れ、その上に砕いた土モルタルを石材として被せていく。
ただベタッと載せるのではダメ。空気と水が通るように、かつ噛み合うように(これを「しがらみ」という)組んでいくのだ。屋久島から参加のTさんも真剣に取り組む。
回り込んだ奥では旧小庭園の土留めにブレーカーを入れる。間知石(けんちいし)がモルタルで固めであり空気通しがない。そこで目地にに割れ目を入れ、部分的に石を抜く。
文殊堂(左)と改修された庫裏(右)の間には通路の壁があり風通しが悪い。矢野さんに言わせると、かつてこのような建築では、通路に壁は作らなかった。風通しを重視したのである。それだけに中庭の風通し目通しの抜けには細心の注意を払わなければならない。
中庭の交差点(中央)にあるモミジに剪定の手を入れる。
将来この空間においてシンボルツリーとなる重要なモミジだ。
もう1つの班は文殊堂の表側に回って植栽わまりにエアスコップをかける。
上流側ではU字溝の穴あけ。
ここはかなり前に手を入れた個所らしい(古い竹材が出てくる)。既設の集水管がそのままになっており、取り出してみると中が植物の根で詰まっているのだった。
もうひと班は道を挟んで墓石がある山側の土手の整備。土手を支えるサクラがだいぶ傷んでいる。擁壁の天端のキワに溝を開けて有機資材を入れ、空気通しを促す。
奥に見える土嚢(どのう)は崩れ始めた斜面を止めようと檀家さん自らが積んだものだそうだ。このエリアは「やり始めたら大変だから」と据え置きしておいた場所。しかし、今年の19号台風で痛みが大きく見え始めた。
中庭に仕上げのグランドカバーがまかれてほぼ完成する。
小庭園の間知石も微妙にずらされて、地中の空気が通るようになった。
新たに掘り直されたされた水脈。植栽も一部配置換えし、それに伴う剪定も行われた。
「今まで淀んでいた空間がすごく明るく爽やかになったね〜」とやっちゃんが呟いた。ここに使われた置石や飛び石は、敷地内の工事から出た余り石である。それを庭園風に配置したのだ。
そこに的確な植栽が加えられ、京都の一流の庭師もかくや・・・と思わされる見事なレイアウトになっている。が、矢野さんに言わせると「デザインはしていないよ、空気を読んで、それに習って配置するとおのずと形ができてくる」のだそうだ。
お昼はなんだかものすごく豪華な、お重の弁当!
そして3時は揚げたてのまだ熱いゴマのお饅頭・・・。
皆で中庭の出来を確認した後、文殊堂の表側に回って作業を続行する。矢野さんはひとり石に金槌を当てている。小庭園から外した間知石を置石にしたのだが、その角を叩いて丸い風合いを出しているのだった。
山側の墓地の間の通路に水脈を入れる。
ブレーカーで既設のU字溝に穴を開けて、水脈をつなげる。文殊堂はこのすり鉢地形の中央下部にまるで要塞やダムのように水脈や風通しを遮っている。現代建築のベタ基礎の陥穽だ。さらにその上に擁壁やアスファルトの道がある。ともあれ少しでも水脈をつないで回復させるしかない。
水脈を遮断している階段を割って水みちを通す。
いささか破壊的すぎる処方だが、逆に言えば現代土木がいかに水脈をないがしろにしているか・・ということになる。
墓地の山際にも水脈。
夕暮れて寒さが厳しくなってくる。
コルゲート管に有機資材と炭。
このあと空気が塞がらないように埋め戻して最後はグランドカバー。という一連の作業。しかし、その仕上がりは地味なため、このような複雑な作業が埋もれていることに檀家さんたちはほとんど気付かないだろう。
暗くなってもサーチライトを点けながら作業は続く。
皆の作業跡を矢野さんがチェックし、その修正を、解説を加えながら執拗に繰り替えす。それを皆が見守る。
こうして2日目が終了。ライセンス講座は今日まで。明日は有志による追加工事の1日となる。