ピースご飯、アサリの味噌汁、街の木と囲炉裏暖炉


Gomyo倶楽部で新たに申請する助成金書類のチェック。その後仕事するがすぐにドリーが外に出たいと鳴くのでドアを開けに行き、ついでに草刈りをする。

室内に戻れば階段にほこりがたまっているのが気になって雑巾掛け。朝食兼昼食は豆ご飯を炊いて、畑で採ってきたニラで味噌汁。糠漬け。

朝漬けたサワラ中落ちの西京漬けを焼く。さすがにもうちょっと漬け時間を置かないと旨くないね。

今日は遅れていた請求書を出したり銀行と支払いに行ったりバタバタと事務仕事。その後、ブログを3本書いて大地の再生関係の文章書き。

昨日買っておいたアサリを味噌汁に。昼の残りのご飯をおにぎりにして

うほ〜。この時期のアサリは身がぱんぱんで最高に美味いわ♬ ああ潮干狩りにも行きたいが・・・。

ちょっと肌寒いので夜は囲炉裏暖炉。この時期の炎もなかなかいいのである。むかし囲炉裏が全盛だった時代には、冬以外の季節にもきっとこうして焚いていたはず。

いま、大都市・地方都市に限らず、街の中の木が消えようとしている。大地の再生取材の仙台の例では、土地の転売に際して庭にある木々はすべて(樹齢100年近い高木もある)伐採・伐根されるという運命だった。他にも、庭付きの中古住宅を購入した、あるいは親の代の庭を相続したとき、庭の木を伐採し石を撤去して駐車場に・・という例が多い。

そうなってしまうのは、管理が面倒だということもあるが、木がもたらしてくれる自然の恩恵を感じにくくなったこともあるだろう。高気密高断熱の現代住宅、外部との空間的なつながりを遮断し、24時間換気をしながらエアコン暮らし。井戸水は使わず水道が当たり前。木は大気の温度調節をし、その根は雨水を蓄えて水源涵養するばかりでなく、ラジエターのように夏は涼しく冬は暖かな環境をもたらしてくれるのだが。

木々は美しい花を咲かせ、匂いをもたらし、そのうつろいで四季の変化を感じさせてくれる。切り花は陶器に活けられ床の間を飾った。日本家屋の文化とも庭木は深い関わりを持っていた。バーチャル全盛のいま、そのような環境も感性も失われてしまった・・・。

そして剪定枝は囲炉裏やカマドの薪になり、落ち葉は堆肥化して畑にまくといった暮らしが消えた。昔は樹木の管理にはそのような実益と喜びがあったのである。

しかし、ちょっとした庭と囲炉裏暖炉さえあれば、街の中でも、現代住宅で樹木に関わる文化を取り戻すことができる。・・・現に私が実践している。

いま、都市にかぎらず田舎でもヒートアイランド現象が起きているのは、雨水を浸透させず配管や水路で流してしまうという現代土木、そして樹木の喪失という問題が深く関わっている。

だから、剪定枝や山で拾ってきた枯れ枝を燃やすというのは、大きな意義を持っているのだ。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください