高貴寺、炎の囲炉裏と慈雲尊者


大阪の現場は、当初は立ち寄る予定はなかったのだが、西日本豪雨の被災場所のお寺の敷地だというし、帰り道すがら同行することにした。

新大阪で、お迎えの車が来る時間よりも早く着いたので、外に出て朝日の光景を見ながらお茶を飲みたいという矢野さんに着いていくが、そんなカフェがいっこうに現れない。それどころか全体に殺伐としており、公園の木々はひどく短く切り込まれているのだった。弁当屋の前にテーブルがあり、奥に折りたたみ椅子を見つけた矢野さんが突然、

「ここで休ませてもらおう」

と、カップ味噌汁とペットボトルのお茶を買ってきた(笑)。目の前は公立高校のキャンパスなのだが味気ないコンクリートの塀が並んでいるばかりだった。グーグルマップで現在地を送ると、弁当屋の前までお迎えのSさんが車を横付けしてくれた。

高貴寺は大阪とはいえ葛城山系の修験者の寺がルーツとのことで、山深い雰囲気を備えていた。驚いたのはクライアントでもある若い住職が台所の板の間で炎の囲炉裏をもやしていたことだった。

弘法大師空海も安居したといわれているこの寺、金堂には五大明王像、役行者像、理源大師像が(毎年1月15日護摩供養に開扉)、講堂には国の重要文化財である弁財天坐像(毎年4月26日に開帳)が祀られており、境内は大阪府指定史跡になっている。

中庭に枝垂れ桜があるが、だいぶ弱っているようだ。

奥の院に続く境内はひどく崩壊しており、その原因は数々見つけられたが、水脈の詰まりがその大元であることは明らかだった。

奥の院下の崩壊箇所。

高貴寺は江戸時代中期の高僧、慈雲(じうん)尊者ゆかりの寺で、奥の院にはお墓がある。

慈雲は顕教、密教、禅仏教、神道と宗派を問わず学び、千巻にも及ぶ梵語(サンスクリット)研究の大著を著した高僧であり、今では海外にも知られる能書家であった。

奥の院にある井戸。湧出量が減っており泥だまりができてた。

コンクリートの堰堤が作られている。

下流の沢はセキショウが揺らめいて透明度の高い水が流れていた。

しかしその下流域はスギの風倒木が見られた。

まずは沢の風通しを良くしてはどうかと矢野さんのアドバイス。それだけでもヤブ化がかなり抑えられる。

合流点の広場からサクラが見える。

「見返りの桜」と名付けられているそうだ。

聖徳太子由来の井戸。

境内の井戸。やはり湧出量が減っており、大地の再生が急務に感じられた。

本来の寺の機能と周囲の自然を愛する住職に意気を感じて、私たちは手伝いを約束した。それにしても、大阪の街の雑踏と、この奥深さとのギャップはある意味清々しいほどだった。

久しぶりに出会った「炎の囲炉裏」の懐かしさと嬉しさを連れて、帰路についた。


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