アトリエから坂道を降りて歩いて5分もかからない場所に高松駅方面に向かうバス停がある。始発に乗り、駅には30分ほどで着く。昨日のご飯があったので残りの鮭を焼いておにぎりを作った(付け合わせはカブのぬか漬け)。それを新幹線の中で食べる。お茶も水筒に白湯を入れて持参した。
名古屋駅で参加者と待ち合わせ。デパ地下で弁当を買って貸し会議室のあるビルへ歩いていく。矢野さんは少し遅れて到着。弁当を食べてから話に入る。
会議では今後の「大地の再生」を発展させていくための様々な議論がなされた。前回は仙台秀明の仕事が長引いて矢野さんが参加できなかった(私が上野駅で資料とメッセージを引き継ぎ、名古屋会議で報告した)ので、今回は矢野さんと意見を直接交えるよい機会であった。
以下、今回の会議で印象に残った内容を箇条書きしておく。
1)行政や無関心な層にアプローチするためには「データ化」が不可欠であり、そのためにはまず何がデーター化できるか、どのようなデーターが必要なのかを洗い出すフローチャートづくりを急ぐ。その上で学術データの協力者を募る。費用を捻出する。
2)これまでの活動のなかで、農家などで「大地の再生」の施工以後に実益を上げている例を取材し、報告書を作り発信していく(実際に収量が倍増したという例が多数ある)。
3)現在の「大地の再生」の手法と、同じ場所で現代土木の場合との比較し提示する。感覚や情緒ではなく、きちんと見積もりを取って数字で見れるようにする。以後のメンテナンスと再生vs荒廃の対比も文章化・数値化できるとよい。
4)これまでの施主からアンケートを取りたい。大地の再生を何で知ったのか? 費用は安いか高いか? その後の経過はどうか? ・・・など。
5)以上を遂行するためには、作業しながらでは到底無理なので、専用のチームを作っていく必要がある。
行政関係者としての中村氏は、三重県のみかん農家でイスラエルの点滴手法を導入して収量を高めた過去の経験があり、行政が新たな工法を採用するには様々なハードルがあることを身を以て経験されている。その立場から多数の有益なアドバイスをいただいた。
堀先生は地理学者の立場から、学術的データを取るにはどのようなアプローチが必要かを教えていただいた。また「大地の再生」の視覚資料の中に、「地形との関係や地面の歴史」の視点が欠けていることを指摘された。地面の歴史とは「その場所の地質だけでなく、その場所が埋め戻し土なのか? その場合転圧などをかけているか? あるいは地山を削ったままの場所なのか?」というような近しい時間の問題である。
私が担当の被災地マニュアルに関しては、章立ての変更によって読者を導く流れをアドバイスいただいた。また「手法の解説」だけでなく、結作業や流域全体の再生(人の交流や産業の再生を含めて)なども書ききるようにと押しがあった。これまでマニュアルの内容に関しては意見がほとんど出てこなかったので、これでようやく筆が加速する(?)はずである(深謝><;)。
5時半に散会となった。矢野さんはこれからデスク仕事が残っており、最終目的地が私とは逆方向だった。理事の京子さんは東京から東北の現場へ向かうという。今年は矢野さんの方針を受けて、メンバーは現場にばりばり関わるようである。
私は単独で名古屋飯を食べてから京都へ向かった。