仙台市郊外、コンクリートとアスファルトで造成された道路や宅地の中に、島のように残された高台の里山地。震災復興の拠点として、近代土木工事によって息の根を止められようかとしている仙台だが、その丘からは遠く奥羽山脈の山並みが見え、高台だというのに井戸水が湧き出ている。
そこに神慈秀明会という宗教法人が神殿住居を建設することになり、矢野さんらが敷地の整備を任されることになった。大地の再生視点からすれば、既存の里山自然をできるだけそのまま活かし、さらに気脈・水脈を通す整備をするはずだが、現在の法規では建物周りを造成し、張り芝などをしなければならない。つまり、里山に残されていた木々は根こそぎ引き抜かれるか、伐採されてしまうということなのだ。
もちろん矢野さんがそのまま黙っているいるはずもなく、法規ぎりぎりで残せるものは残し、それ以外の樹木は根切りをして工事の邪魔にならない場所に置いておき、工事の最後に植え直していくつもりなのである。
神慈秀明会はMOA美術館などを創設した岡田茂吉の流れを汲むためか、建築や美術に力を入れており、本部のある滋賀県にはミノル・ヤマサキやイオン・ミン・ペイによる建築、流政之の彫刻などがある。この仙台の建物もまた、景観に配慮された造形的にもなかなかのものである。が、宅地に島のように残された貴重な雑木林に宗教法人が乗り込んで建物を造るとなると、やはり周囲の住民は黙っているはずはなく、反対運動が起きた。
さらに造成によって森が破壊されてく姿を見たり、工事中に泥水が道に流れたこともあるというから、周囲の住人は相当ナーバスになっているはず。そうして3年をかけて建物は完成に近づき、造園整備もいよいよ大詰めを迎えようとしている。
造成工事に当たっては仮設道や法面の下部にツーバイ材の水切り、丸太杭による土止め(抵抗柵)、U字溝の周囲にコルゲート管の点穴、根切りした樹木を仮置きしている小山の裾にコルゲート管の通気通水脈、そして単純な溝、などをたっぷり配置してある。これらは図面確認の検査前には外されるものもあるあだろう。
前回、切土でもめていた斜面はすでに芝が張られていたが、一部の残りを張る作業が開始される。驚いたのは前回切土に苦労するほどかちんかちんの土だったものが、しっとりと水を吸ってツルハシでサクサクと掘れるほど柔らかくなっているのだ(!)。これは、斜面とアスファルト道路とのキワにやや大きめの通気浸透水脈を掘ったのが効いたのである。コルゲート管は入れずに(設計図に記載なしなので検査が通らない)枝をかなり埋め込んだ。
そして、斜面に植えたアオキなどが生き生きとして、瑞々しい新芽などを出しているのだった。
実際、この斜面の下部を掘った場所は、還元状態のグライ土壌特有の、ドブ臭がしていた(この臭いは広島での西日本豪雨被災地とまったく同じものだった)。周囲の宅地の様子から、コンクリートとアスファルトで造成されたのはかなり古い時代と見え、通気通水の詰まりは深刻なものだったと思われる。
仙台の街は開発によって緑地がかなり減っていることから、街中の地下にこのグライ土壌が長期化して在ると考えていい。これは周囲の植物を痛めるだけでなく、コンクリートの隙間などから有害な有機ガスを揮発させているわけで、都市部に犯罪が多いのはこのせいでイライラしたりすることが原因の一つではないかと矢野さんは言っている。
さて、芝を補填するとき既存芝との接続部を瓦(かわら)のように重ねて張る。これを「瓦重ね」という。地面に置いたら大きめの木槌で上から叩いて地形を整えつつ、叩きながら竹杭をどこに打てばいいか考える。
張り芝の上部、土との境界線には短く切った枝を敷いて、その上からチップのグランドカバーをかけておく。
矢野さんがアズマネザサと灌木が茂る斜面(急斜面のため手付かずで残されている)に潜り込み、地面に転がっている腐食しかけた古い丸太を持ち上げてきた。
図面上、この場所には芝を張る必要はないが、凹凸が大きい。そこで芝の斜面との見た目の連続性を作るために、凹地にこれらの材料を置いてかさ上げするようだった。
灌木の枯れ枝や刈り取ったアズマネザサを30cmほどの長さにチェーンソーで切り刻み、それを凹地に投げ込むように入れ、その上にまるで石垣を積むかのように古丸太を積み上げていく。仕上げに杭を打ち、やはり丸太に取り付いていた錆びた番線を外して再利用し、杭に横木を止めていった。
結果的にアズマネザサの斜面にはけもの道程度の空間ができる。矢野さんは周囲のアズマネザサから枯れたものだけを取り出してその道に敷いていった。
「敷く」といってもただ置くのではなく、「編み込んでいく」という感じである。編み込んでは足で叩くように踏んで、斜面から滑り落ちていかないように念を入れている。陰気でおどろおどろしかった薮の中に、小道と風の通る空間ができて爽やかな雰囲気になった。
丸太の石垣(ちょっと変な表現だけど)もまた、なにか端正で美しい佇まいだった(しかしこの空間性は写真では伝わらないのが残念だ)。
「お施主さんだって丸太が藪の斜面に隠すように捨てられているのを見るより、このほうが気持ちがいいでしょう?」と矢野さんは若いメンバーに説明するのだった。
自分の小さな足元を常に大切にする、そこから出発・発展していく。いや、自分の足元にも気づかないようでは、敷地や里山の「大地の再生」などできるわけがない・・・とまで言い切る。
前回、現場に来たとき作業道のキワで弱っていたクヌギやコナラなどの樹木を見つけて、矢野さんは周囲の溝を掘っておいた(その溝はイノシシが掘ったものにそっくりだった)が、今回それらの木々にはっきりと回復の兆しが見えるのだった。矢野さんとしては、現場に張り付いているスタッフがこれに気づいて行動すべきだ・・・と言い、
「いつも皆に言っている、自分の足元から・・・と。それがいつまでたってもできていない」と嘆くのだが、生き生きとした原自然を見ずに育った世代にはそれがなかなか感じられないのかもしれない。
やはり、図示で「見える化」をしなければならないだろう。たとえば詰まりによる衰弱には次のような兆(きざ)しが出る。そして改善すると矢じるしのような状態になっていく。
1)落葉しそうな葉っぱの状態、斑点、茶変など。どんぐりも落ちる。→ 改善後/ 斑点や茶変が弱くなり、葉がピンとしてくる。どんぐり落ちない。
2)樹皮が剥がれ落ちる。→ 改善後/巻き込みが始まり、皮の端が膨れてくる。
3)枝の状態、枯れ上がり、先枯れ、枝の下がり。→ 改善後/枝が上がる、胴吹きが始まる、新芽が出てくる。
また、若い人たちは子供の頃から農作業の手伝いなどをしたことがないので、道具の扱い方がわからない。三つグワを矢野さんは巧みに扱い「石や土の塊」と「粒子の土」とをより分ける。水脈に土をかぶせるとき、それが手腕になっていくのだ。
その重要性に気づかず、縦カキ(かき板)を使ってしまったりする(浸透性や通気性に大きく関わる)。箕による土や炭のまきかたにも「風まき」と「水まき」の2種類があるのだが、どちらを使うべきか、瞬時に理解できないことがあるようだ。
私も町場の生まれ育ちで子供の頃の農作業体験などはしていないのだが、イラストで食えない時代に肉体労働系のバイトをやったことで、道具類の使い方を実践的に習得した。またハードな山暮らしを経てそのノウハウ本を作る経験から、道具と身体性についてさらに理解を深めることになった。
しかし誰でもこんな経験をできるわけではないので、やはりマニュアル化を急がねば・・・と思う次第である。
暗くなってもなお、ヘッドランプをつけて作業が続けられる。事務方をも担う若手女史のHさんは、現場の片隅で発電機を回して、それにパソコンの電源をつないで資料作りをしている・・・という相変わらずウルトラCの、大地の再生なのであった(笑)。
宿は前回と同じ桂旅館。夕食が美味いと評判の宿なので楽しみにしていたのだが、時間を知らず先に風呂を済ませているうちに食堂が終わってしまい、宿の人がパックに詰めて部屋まで持ってきてくれた(!)。
それは噂にたがわずボリュームたっぷりの、実に実に美味い弁当であった。
いつも、興味津々の矢野さんの記事をありがとうございます
何度か、大地の講座に伺っていますが うんうんと感じながら 自宅で実践となると ⁇⁉︎な事ばかり
「見える化」
は、 最重要課題かと…^_^
楽しみに楽しみにお待ちしております!
了解です。「見える化」の図版化、頑張りたいと思います。