道の重要性と疲弊した山林と


翌朝、早朝に仙台へ。レンタカーと北陸新幹線を使って大宮まで。そこから東北新幹線に乗り替える。車中でも矢野さんの話は興味が尽きない。八ヶ岳山麓の広大な農地をまっすぐに突っ切る道について、早速語り始める。

道は非常に重要な構造物である。

道が直線化、平坦な斜面化すると水が走り、周囲が薮化する。

畑の場合は泥を引っ張る。

周囲の水を引っ張ることで、大地は浸透性を失う、通気機能が損なわれるから。

分散しながら浸透する道がよい。それは植物の根っ子の機能そのもの。

道は人が自然と付き合う接点。全ての生き物が生態系に関わる出発点が「道」。

昔の道は、人間が自然を利用するためのものだが、同時に水脈機能を良くするものだった。使うことで周囲の自然が良くなり、生産性が高まっていく。

いい道は道そのものも傷めない。山を崩さない。だから防災にもつながる。

日本人がこの道作りの偉大さに気づいて、新たな土木工事を創造すれば、世界最高のものができる。世界に冠たる環境立国なれる。

佐久へ移動する道のカラマツがおかしい。枝が枯れてスカスカになっている。明らかに間伐遅れが原因ではない。

蓼科山を望む白樺湖の周囲も酷い。木々が先枯れ、枝枯れをおこして、すかすかのズタボロになっている。矢野さんと二人、唖然として見ていた。蓼科山周辺といえば謎の「縞枯れ」現象が昔から有名だが、矢野さんに言わせると間違いなく道路建設が原因とのことだ。

シラカバもかつてはこんなものではなかった。軽井沢も昔は本当に素晴らしかったそうだ。いま、日本中の農地や山林が空気詰まりの現象を起こしている。北海道も、東北も、空気の詰まりで木々が疲弊して、ここ数年紅葉が美しくないという。

「これに皆気づかないのだろうか? 休みをとって、お金をかけて来たから、美しい場所だと思いたいのか?」

今の「道」は、自然を根本から疲弊させる道作りなのだ。

矢野さんは昭和30年代前半の生まれで、高度成長期の波に押しつぶされる直前の、最後の日本の原自然的な美を体験することができた貴重な世代である。さらに20代の頃に、日本中の僻地を徒歩で見て歩くという体験をされている。

すでに壊れた自然しかないときに生まれた世代は、この疲弊した自然に気づけないのかもしれない。いま、日本中の道路脇にある山林は、ほとんどが壊れた表情をしている。私たちが見ている「緑」は異常な状態のものなのだ。

私は大地の再生講座で屋久島に何度か通ううちに、その姿の違いにはっきり気づいた。私もまた、矢野さんほどではないにせよ、最後の日本の自然の残照を見ることができた世代である。

中高時代に里山から奥山に至る場所で、チョウを追い続けた。大学時代には東北の山岳渓流で天然のイワナを釣ることができた。その生き物たちや森の強靭な美しさは今もまぶたに焼き付いている。

ところが私たちの前の「団塊の世代」はそうでもないらしい。高度成長のプラスの部分を謳歌し続けたのである(もちろん例外はある)。

私は豊かさを享受しながらも、それをすべて良しとして受け入れることはせず、負の部分を見続け、逆方向のベクトルを背負いながら、ずっとここまで来た。

高度成長やバブルを謳歌しながら、あるとき、事故や病気や震災などをきっかけに、自然や自然暮らしに目覚めて変節したという人をよく知っているが、私は子供の頃から自然や自然暮らしが大好きで、そこからブレたことがまったくないのである。

そういう意味で、矢野さんのチャンネルに合わせる能力に長けていた、とも言える。そしてここに膨大な鉱脈が埋まっていることを直感したのだ。


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