桂旅館という大きなアパート風の宿、中には職人さんたちがびっしりで、朝から大きな食堂で自分でご飯をよそって食べる。オカズが満載の上に、自家製のお米が食べ放題だそうで、朝から満腹になる。北関東〜東北にはこのような職人さんご用達の宿が多い。私も若い頃、肉体労働のアルバイトで渡り歩いていたとき世話になったものだ。
車で現場まで移動しながら街並みを観察する。仙台は思い出の地だ。高校時代、最初に東北の渓流のキャンプ旅をしたときの拠点が仙台だった。自然度の高い山や渓流が見たくて、故郷の水戸から脱出する思いで私は東北の大学だけを選んで受験した。仙台にも候補地があった。あれから40年。当時に比べればコンクリート構造物が激増している。しかし朝の清らかな空気と光は東北特有のものだ。
現場に着くと、昨日の工程会議に出ていた親方たちの顔が見える。このような大掛かりな現場では、各作業が分担されて職人さんたちが入り乱れている。工程を読み込んで段取りをしっかりしておかないと、ミスによるずれ込みが大きくなる。
長くかかる工事の全体の進行に合わせて、矢野さんたちはピンポイントでこの現場に入っているようだった。
結局、測量のレベルの杭に合わせて傾斜を取り直し、もう一度丁張りの基準面を取り直す。
それに合わせて一度貼った芝を剥がさねばならない。
ブレーカーによる斜面の掘削。
残土の処理。
必要に応じて、矢野さんも重機から降りて三つグワを振るう。
周囲の宅地に住んでいる住民にとっては、島のように残された雑木林が工事業者によって破壊されている・・・そんな印象を受けているのかもしれない。
建物の設計は周囲に調和した、美しく完成度の高いものだった。矢野さんの手法で植物と樹木がセットされた姿が、その昇華が楽しみである。
私は午前中で取材を切り上げて東京へ。駅まで2kmの道を歩いてみることにした。街路樹に遠く奥羽山脈からの「気」が流れている。
コンクリートの擁壁と落ち葉。地下水の染み出し。
「杜の都」と呼ばれる通り、仙台は起伏に富んだ丘陵地が多く、街路樹が整備されている。起伏が多いということは、道路や宅地造成の整備で必然的に大きな切土・盛り土が出る。そのことごとくがコンクリートで固められているようだった。311震災の復興が、それを加速させたこともあるだろう。
街路樹や残された緑を眺めれば、自然度が激減している様子が手に取るように解る。西日本豪雨の復興にもそれを重ね合わせて見てしまう。
高度成長時代からの詰まりがピークに達したいま、街に向き合う。「大地の再生」側にとっては、困難な法規制の中で見出される自然親和的な再生と創造を、未来に託する・表現する工事になる。この仙台での仕事は、様々な問題を突きつけるものになるだろう。