西日本豪雨被災地@広島呉市安浦2-1/境内の水みち仕上げ


昨晩お世話になった円照寺の門から対岸の被災跡(流木の重なり)が見える。豪雨災害から2ヶ月が経つのだが、安浦町はいまだこのような風景がそこかしこにある。

朝食を済ませると休む間もなく矢野さんが境内の水脈の補修にかかる。

本堂がやや沈下したのか水勾配がとれずに、抜けない雨水が泥アクを作っていた。その勾配を見極めて、矢野さんが施工の作戦を考えている。

ここでミーティング。今日はまず境内の整備をし、次に昨日検証に行ったUさん宅の家周りの追加補修をする。そして午後から放置棚田の水脈整備と忙しい。

境内は門の左右のコーナーに排水口があるのだがそこが塞がれてもいる。水勾配をつけるのも大事だが、水みちは抵抗柵をつけたり迂回させたりして、ゆるやかに排水口に繋がないとまたすぐに詰まってしまう。矢野さんが三つグワで土を掻きながら抵抗柵の位置を線引きする。

めいめいに作業開始。このような微妙な水脈整備は、子供の泥遊びに通じる面白さがあるけれど、けっこう難しい。ほどよい加減を過ぎて、矢野さんにやりすぎを指摘される場面をたびたび見る。

矢野さんは雨樋の落ち口にある石の台座と本堂の三和土との間にタガネを入れて溝を切っている(もちろん住職に了解済み)。

この間を切って水みちを繋いでやろうというわけである。角のところはちょっと大きく深掘りして「点穴」的になっている(台座の角もちょっと削ってある)。タガネを使ってコンクリートをハツってまでやる必要がある。わずかな溝と通路なのだがそれくらい重要だということなのだろう。

今回の「抵抗柵」はお寺の境内で人が歩く場所でもあるので、熊野のミカン園のときのように杭が飛び出していては困る。見た目も大事だ。杭にカンナがけして面取りし、バーナーで焼き色をつける。見た目も穏やかだし腐食にも強くなる。

杭打ちに番線しばりではなく、ドリルで穴をあけてセパを打ち込んで止めるようだ。

地面と角材の間に枝葉を挟み込んで、通気と泥漉しの機能も与える。

お寺らしくなかなかシックな仕上がりである(笑)。

しかし、土をかぶせて足で踏みならしてしまうので、見た目はその存在もわからない。「大地の再生」の仕様とパーツには、このように機能は重要なのだが見た目はとことん地味な仕上がり・・・というものがたくさんある(だからマニュアル化にはイラストが非常に重要になってくる)。

泥アクのたまった低い場所はクワで表面を引っ掻いてから高いところを削って出た土をまいて盛っていく。

熊手で均す。

足で踏み固める。

足踏みはやみくもに強く踏めばいいのではなく、水が土を締めていくようなイメージで、段階に分けて踏んでいく。水が締めて大地が安定する。

泥アクのたまった嫌な感じのコーナーが見違えるように美しく仕上がっていく。タガネで彫った溝が視覚的にも抜けて気持ちがいい。

最後は竹ぼうきで掃く。人が掃除をするように掃くのではなく、水が流すように掃く。水みちの整備だということを忘れずに。

ブロアーで吹いて完成。足踏みが「水の仕上げ」ならこれは「風の仕上げ」ということになる。

作業は自然に倣(なら)う。強い水で粗地形、弱い水で仕上げ、そして風での仕上げ。水から風に、段階的にやらないとダメ。今日は、今は、どのエネルギーの作業をしているかを常に考える。

「雨と風に倣った作業」・・・自分の作業が雨・風のどれに当たるか考える。

前回、植物の根周りなどは一度掘っているそうなので、今回は表層だけの改善だった。が、中にはついつい深掘りしてしまうメンバーもいて「移植ゴテも使えない人にクワは使えない。仕事に責任を持たないといけない」などと矢野さんに檄を飛ばされる一幕も。

確かに、矢野さんの的確で誠実な仕事ぶりは毎度見事である。

(続く)


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