須佐神社2日目。今日は天気が崩れそうな予報。昨日の点穴効果か、心なしか樹木の枝がピンと張って元気になったように見える。
スギのご神木も。
境内に何本かあるサクラは黄色い葉っぱを落とし始めている。これは再生の兆しだそうだ。
昨日の施工をチェックする。
皆は竹を切りそろえて割るなど素材集めをし、矢野さんは境内の灌木の剪定をする。大枝をバッサリではなく、ボサボサの部分をちょっと刈り取る程度なのだが、それだけで風が流れ始めるのがわかる。
新潟大の粟生田先生がお帰りになるというので、お茶休憩をとりながら調査内容の説明を聞いた。
上の駐車場と拝殿のある境内とをむすぶ林道(中央がコンクリート舗装されている)、この先に豪雨被害で崩れたままになっている場所がある。そこまでの道のりに水脈を入れていく。
炭と割竹と、仕上げに竹の枝葉。皆、だいぶ慣れてきて作業が早い。
私は午前中に敷地の施工平面図と断面図の略図を仕上げ、昼休みに配布すべく車でコンビニにコピーを撮りにいく。
その行き帰り道で撮ったこの神社の社叢(しゃそう)と山の姿である。昔はこの下が海だったのであり、1,000年以上も昔から崇められ大切に守られてきたにちがいない。このような場所が各地で崩壊し始めているのを、これまで各所で見てきた。最初に大樹が枯れ、倒壊する・・・というのが共通して特徴的である。
午後から崩壊地周りを作業する。
ブルーシートは剥がさず、斜面変換点の基部を掘り込んで、
本殿裏と同じ杭打ち柵で処理された。
土留めに枝葉を編み込んでいく。
矢野さんはその下に降りて、崩壊の堆積土層に水脈を掘り直している。
ふたたび境内では別の作業が。8ミリ径の全ネジを30cm長さにカットして頭に六角ナットをつけ、
それを留め具にして角材による抵抗柵を作る。
桟木は50×20ミリ、長さは70cm。
グランドカバーにまいた炭・チップが雨で流れない工夫である。また、これでいくらか表流水の速度を抑えられ、縦浸透を促すことにもなる。
時間は16時を回った。残り時間で一番下の境内を施工したいのだが、その前に矢野さんは駐車場の入り口に水切りをする。
この駐車場の地表は全体に嫌な感じの表情をしていた。アスファルトの車道との接点、入口部の「扇の要」の部分の水が、雨のとき走り過ぎてしまうのだ。そこに小さな抵抗壁を作って引きを弱くし、分散排水してやる。普通ならツーバイ材などを使って抵抗柵を埋め込むのだが、ここは砕石敷きなので土盛りだけでも効果がある。
下の境内に到着。
一部、昔の石垣が残っている。昔の石垣は空気の通りが良く、いいものだがアスファルト道路やコンクリートU字溝を基部に擦り付けてしまい、ちょっと残念である。
平坦地は空気や水の流れが滞りやすいので、昔はお堀をまわしたり池を作ったりしてその流れを意識して造ったのだが、現代土木の隆盛とともにその意味が忘れ去られてしまった。
この境内にも昔は池があったのだが、埋め立てられてしまったそうだ。
皆で手分けして、資材づくり。最後の時間を急ぐ。この奥が池があった場所らしい。
そこにはコルゲート管が入ることになった。
割り竹と枝葉。
表層水脈の出口を門のレールが塞いでいる。そこをブレーカーで掘り起こす。
昔のお堀のような水路が一部残っているが、
神社の前は蓋がされているが、タガネで小さな穴を掘って表層排水をなんとかつないだ。
解散と同時に雨が降り出し、暗くなる頃には土砂降りとなった。雨が降ればまた水流のゆくえが機能しているか気になる。この場所は穴に落ち葉が差し込んで水が動かなくなっていた。
そんなチェックに付き合っているうちに、時間はどんどん遅くなり、結局今夜も私は行橋のホテルに泊まることになった。遅くなりすぎて夕食難民になり、ようやく深夜営業の中華屋を見つけて、食べ始めたのは11時過ぎ(!)。
ともあれ興味深く、いろいろ考えさせられた2日間であった。