「風の草刈り」実践中。わが敷地は畑の他に曖昧な荒地があり、そこには果樹を植えたりしている。その下草の管理に毎年苦労していたのだが、矢野さんの「風の草刈り」を知ってからすごく気が楽になり、草刈りが楽しくなった。
以前から何度も書いているように、私はエンジンカッターで低い位置で全刈りするのが昔から好きではなかった。
手ガマで、モザイク状に、そして有用植物を見つけたらそれ残すように敷地を管理する。すると、土地が意思を持っているかのように、見違えるように変わってくる。山暮らしのときにそのやり方を発見して、ここでもそれを続けてきた。
長年埋もれていたタネや球根が光と熱を得て発芽したり、鳥たちがタネを運んできてくれたり、そうして花の種類が増えていくのである。風によって舞い降りるタネもある。新たに植えずとも、それらを活かすだけで十分おもしろいのだ。
しかし、日本の夏の自然はそんな優しい遊びをあざ笑うかのように、猛然とした草の繁茂を見せて、毎年草刈りが追いつかず、手に負えなくなって薮化するエリアができてしまうのである。
矢野さんの「風の草刈り」はそんな部分の解決策として最適である。省力の上に、抜けがいい。風が通る、というのがいい。やってみれば解るが、気持ちいいのである。
それは昆虫たちも同じようで、チョウが草刈りを終えた空間を気持ち良さそうに飛んでいるのを見て、感激してしまった。
昔は使役動物の飼い葉として草刈りをしていた。だから必然的にモザイク状に飼っていた。しかし伸びすぎてしまった場所は、風の草刈りと同じような、高刈りをして見通しだけはよくしていたのではないだろうか。
そして、昔は暮らしの中にきらびやかな原色はなかった。祭りの幟と花くらいのものだった。それらは仏花にもなった。だから草刈りでも気をつけて刈らずに残した。オミナエシやワレモコウ、キキョウやリンドウ、ササユリやヤマユリなどは、そうして里山を彩ったのだ。
ただしエンジンカッターでもナイロンコードのものなら風の草刈りができる。この夏はそれもやってみたい。