昨日の夜、スーパーでやや大きめで鮮度のよさそうなシズ(イボダイ)を見つけた(2尾で380円だった)。今夜はそれをおろす。
乳白色の身はなんとも美しい。この魚、クラゲをよく食べているらしい。別名「ぼうぜ」「あまぎ」とも呼ばれるがその他の地方名は多く、とくに西日本で食されている。
鮮度が落ちていれば干物だが、酢締めでいけそうだ。シズは夏から秋が旬。私は関東住まいのときこの魚を食べた記憶がない。四国に来て初めて出会ったのである。
アジも買っておいたので解体後のアラはすぐにストックをとる。
昨日の揚げ油があったのでアジはフライにすることに。半身を2つに切ると小フライパンでいちどに6片揚げることができる。
中火でアク取りしながら30分。アジ2尾、シズ2尾のアラの濃厚なストックが取れた。これだけ煮ると、中落ちの身の味はすっかり抜けてしまい、バロンは見向きもしないw。
これですぐに味噌汁を作る。
アジフライの付け合わせはどっさりのレタスとキャベせん。キノコと青菜のおひたし。
ワカメ、ダイコン、タマネギ、油揚げの味噌汁。濃厚な出汁に味噌がよく合う。あまりに旨くて味噌汁2人前を完飲w。
丸元淑生が言うように、解体後の頭と中落ちでスープストックをとるならアジやシズを無駄なく完全に味わうことができ、魚はけっして高くはない。そしていちどこのストックの味を知れば、誰しもアラそのものを料理素材の一つとして考えるようになる。
つまり頭と中落ちを「料理の重要な素材」と捉えるのだ。でも小魚は解体したとたん鮮度が落ちていくので、丸のまま買って自分でおろすに限る。そして解体したそばからアラを鍋に入れ、身のほうは冷蔵しておき先にスープをとる。
魚おろしで面倒なのは内臓の処理だが、私は水を流しながらシンクに落してしまい、排水口のメッシュのゴミ受けに溜めてから、後でまとめてビニール袋に入れて冷凍してしまう。そして生ゴミの日に出す。アラの残滓は畑の堆肥場に青草と混ぜておくと昆虫たちが食べに来て、その後いい肥料になる。
こうして自然で奥深い出汁を味わっていると、たまに食べる外食のスープや味噌汁が化学的な舌を刺激するだけの旨味だと看破されてしまう。今夜の汁が魚の骨から出るミネラルやゼラチン質の旨味に対して、一方は工場で抽出された化学の粉の調合品なのだ。
それらの違いが肉体や精神に与える影響は、実は計り知れないほど大きいものだと私は考えている。そして、海とそれにつながる自然に感謝できることを喜ぶ。またゴミが土に還っていくことに深い充足を覚えるのである。