もうすぐyuiさんの命日が来る。早いものでもう1年が経つ。一周忌はくりあげて9月17日に市内のお寺で行なうことにしている。この一年、毎朝欠かさず仏壇にお茶と線香を上げ、花を飾ってきた。
花は最初、花屋で買ったりしていたが、今は庭先にあるもので間に合っているし、そのほうがyuiさんとこの仏壇にはふさわしい。猛暑の夏を過ぎて、また秋の花が咲き出し、仏花には困らない。バラもまた咲き始めたし、嬉しいことに一昨年植えておいたフジバカマの株が大きく成長した。今日はそれにニラの花とツユクサを合わせてみた。
この一区切りで悲しみと決別し、また頑張れるだろうか。yuiさんの分まで生きて、いい仕事を続けることが最大の供養だと思っている。
中洞牧場の本を続けざまに読んでいたら、なんだか乳製品が食べたくなり、モッツアレラチーズを買ってしまった。付け合わせは大正金時豆のサラダ。アマニ油と黒胡椒をかけて、ビールで。
野シバについて新しい知見を得た。日本の年間雨量は豊富なため牛の食糧としての草はどんどん生えてくる。日本の酪農にはポテンシャルがあり(スイスに比べて3倍の生産量がある)、理想的な環境なのだ。そして、日本の山は酪農を続けていくと最終的には野シバになる(見た目はきれいなゴルフ場のよう)。
野シバは分厚い絨毯のごとく表土を覆い、牛の体重による障害もなく、匍匐茎(ランナー)が縦横無尽に幾重にも重なり、保水力も高い。安定した野シバは牛の最良の餌であり、栄養価も高い。だからその牛の乳は薬効さえある価値あるものとなる。
山林との共存については、若い頃に日雇いで林業仕事の経験もある中洞さんはこう言うのである。
酪農に詳しい人は「山林で乳牛を飼うなど正気の沙汰ではない」と言うだろう。林業に従事する人は「乳牛を放牧したら山に悪い影響が出るのでは」と考えるだろう。そんなことはない。私は三〇年の牛飼いの経験を通じて、林間放牧が十分に可能だと確信している。(『中洞正の生きる力』)
牛を手入れの行き届かない薮の山林に放つと、クマザサやクズさえも食べながら強靭な脚で踏みつけるので、薮は急速に消えていく。また牛は地面に落ちた枯れ葉や枯れ枝を踏み砕き、地面に落ちている種子を着床させる(さらに糞は肥料になる)。牛の放牧が薮と残すべき木を選り分け、豊かな土壌と森に変えるという。
しかし、なぜここに気づかなかったのか? この山地酪農による森林再生には、森林ボランティアにはない実質と救いがある。自伐林業にはない美しい音色と健康が見える。
野シバと山林と放牧の風景をこの目で確かめてみたい。