梼原町の「雲の上のホテル・別館」内部。ドアを開けたとたん、天井の意匠に思わず「おおっ」とため息がもれた。ここもスギなのだが、今度は木目の美しい無節の板目材を並べている。道路側の窓に向かって傾斜がつけられ、高さはぐっと低くて落ち着く感じ。
スギ板は直打ちではなく、やはり角材でワンクッションおいて浮かせて取り付けてある。もちろんビス跡は見せない。頭のない仕上げ釘が使われている。
洗面所は白無地で統一。鏡の裏からの間接照明。
そこにスギ板が映える。これは見事な柾目のスギを使ったドア(引き戸)だった。
バスルーム。床は白タイル。
トイレ。天井と壁の見切りは廻り縁ではなく、底目地で影を付けている。
ミニマルな水栓と洗面器。清楚で気持ちいい。
隣の台はスギの無垢板を接いだもの。下に脚がなく、キャンティレバーで、大きめのL字金物で取り付けてある(ということは、交換ができる)
汚れが頻発したのか下の台だけはビニールシートが被せられていた。しかし嫌な感じはない。
上の台。隈建築によく見られる手法だが、先端を斜めにカットして厚みを消している。
窓から茅のユニットの裏側が観察できる。ちゃん押さえに竹を使っている。
インターネットも無線LANで使えて快適。ただ、エアコンがむき出しになっていた(格子枠を外した?)のが無粋だった。明りを暗くすると天井の縞がグラデーションをつくりいっそうきれいである。
全体にスギの使い方が見事だと思った。スギは木目や節で様々な見せ方ができるが、それを引き立たせるのは白壁と黒のアクセントである。またスチールなどを対置させることである。
バブル不況の10年間、隈研吾の事務所を支えてくれたのは東北と四国の仕事だったという。『熊研吾 物質と建築』(エクスナレッジ2012)まえがきに、
その文化の豊かさ、濃さは、そこに住む人々と一緒に仕事をし、そこの職人と一緒に物を作り、そこの食べ物を食べ、そこの酒を飲んで語り合わなければわからない。バブルがはじけたあとの時代の10年間、僕は東北と四国から、「小さな場所」の豊かさをたっぷりと教わることができたのである。この10年間がなければ、僕は変わることはできなかっただろう。今のような建築を作ってはいなかっただろう。
と書かれている。隈氏はここ梼原町の建築を通して、スギの豊かさ、奥深さ、温かさを十分体感されたのではないだろうか。
再び外観に戻ろう。鉄筋コンクリートの壁にスギパネルの装飾。道路は写真左に向かってゆるやかに傾斜している。
その傾斜にスギパネルの下端を合わせている。このスギには節がある。竣工当時の写真では一面クリーム色だったが、今はいい感じで黒ずみ、木目がうづくりのよう浮き出て見えている。
パネルはやはり浮かせて取り付けられているので、モザイクのすき間は影によって強い直線で区切られる。玉砂利のつぶつぶ、フラットなコンクリートのグレー、そしてスギパネルの下端がつくる影。この建物の下部は、単純な素材の組み合わせなのに豊かで彫刻的で、全体を引き締めている。
パネル取り付けを横から見たところ。さねで組んだ板を角材に打ち付けて、金具で壁に取り付けているだけ。屋根直下のパネルは一度取り外して、新しいパネルに変えているようだ。